歴史に学べないブッシュ大統領 ―民衆が立ち上がったベオグラード―

その他

投稿者:小林 宏紀

はじめにイラク−アメリカ間からは視点を移して、イラク戦争に対する意見を述べる。

筆者は、このたびのイラク攻撃に反対であり、即時停戦を要求する。過去に実行された、人道的介入と称された軍事の展開や支配者への武力制裁の実態をこの 目で見てきたからである。それは相手国を焦土と化する戦略であり、一般市民の殺害以外のなにものでもなかった。同じことがまた始まったのである。

1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆を想起されたい。

コソボ紛争の根源は深いが、コソボのセルビア化を進めたミロシェビッチ氏がその火付け役と言える。90年代前半、ユーゴスラビア中央政府と独立を宣言し たコソボのアルバニア人は一触即発の状態となる。ミロシェビッチ氏はユーゴスラビア連邦大統領となるや、アルバニア人による反中央政府のデモを弾圧する。 これに対しアルバニア人組織コソボ解放軍はテロで対抗する。98年3月、ミロシェビッチ氏のセルビア軍はコソボ北部に侵攻。米英仏ロ独伊のグループが仲介 を試みるも効果なく、セルビア軍のコソボ弾圧は続く。コソボ解放軍側もアルバニアからの支援を受けて盛り返し、コソボ紛争は激化する。そして多くの難民が 生まれた。同年9月にはアメリカ主導の国連安保理がセルビア軍の即時撤退と停戦を勧告し、NATO軍による空爆をほのめかされたミロシェビッチ氏はひとた びこれを受諾する。しかしこの年の暮れにはセルビア軍とコソボ解放軍との間で再び武力衝突が始まる。99年に入りミロシェビッチ氏は、停戦を監視していた OSCE(欧州安保協力機構)部隊の撤退を要求し、コソボのアルバニア人に向けての虐殺も始まった。アメリカはNATOを通じて交渉を行なうが、コソボに いかほどの自治権を与えるかで話はまとまらず、3月24日、NATO軍によるユーゴスラビア空爆が開始されるのである。空爆は78日間続いた。空爆を停止 した後、NATOが組織するコソボ平和維持部隊がコソボに駐留し、国連はユーゴスラビアの主権を認め、同時に国連コソボ暫定統治機構を組織する。コソボの 独立については未確定のままであった。

NATO軍による空爆、それはユーゴスラビアのインフラを徹底的に破壊するものであった。日米における報道では、誤爆につぐ誤爆。病院、学校、中国大使 館、あらゆるものが破壊された。多くの市民が犠牲となった。攻撃は政府・軍事施設に対してピンポイントで行っているはずであったが、市街地にクラスター爆 弾が投下され、民間人の乗る列車に向けて誘導ミサイルが発射された。当然現地において誤爆などという捉えはない。延命したミロシェビッ氏がセルビアの勝利 宣言さえする中、この空爆は、NATO軍の駐留地の拡大以外、何を達成したといえようか。

2000年9月、ユーゴスラビア大統領直接選挙が実施される。ミロシェビッチ氏の人権抑圧行為を理由として経済制裁が課され、度重なる戦争とでユーゴス ラビアの経済疲弊は当然激しいものであった。而して選挙は野党連合の圧勝。ミロシェビッチ氏は選挙の無効を主張し、やり直しを要求する。セルビア民主野党 連合は全国規模でゼネストを決行。コシュトゥニツア候補は第一次投票において当選を認めない連邦選管と政府に対して抗議する。10月5日、首都ベオグラー ドにおける野党連合の集会に集まった民衆は数十万と言われる。怒りの民衆が大統領府を取り囲む。まずユーゴ軍指導部がミロシェビッチ氏側に立つことを放 棄。翌6日、ミロシェビッチ氏は敗北を認める。民衆の行動が、民衆の祈りがユーゴスラビアの政治を変えたのである。

2003年3月22日、ニューヨークでは10万人規模の反戦デモが行なわれた。真実を知ってからのアメリカ市民の行動はさすがである。しかしブッシュ大 統領には中東の平和を語る資格は一切ない。イスラエル軍はあれほどまでに国連決議を無視してパレスチナ占領を続けてきた。にもかかわらず、アメリカ政府は イラクを攻撃しているこの今、更にイスラエル政府に対して100億ドルもの軍事資金を与えているのである。

日本政府は、フセイン大統領への武力制裁を支持するならば、なぜもっとその方法論についてアメリカ政府に意見できなかったのか。—フセイン大統領が武装 解除しないならばイラク市民の死は致し方ない—このような論理を通らせるしか手立てがなかったと言うのか。日本政府はアメリカ政府を支持しても、武力行使 の方法の議論において、イラク市民の生存が確保できないならば、これを理由に攻撃の実行には待ったをかけるべきであったのだ。湾岸戦争の後、日本国民の税 金で築いたイラク社会を破壊し、何より市民の生命を奪う行為を支持するとは何事であるか。

20世紀の人類は二度にわたる世界大戦をはじめ多くの戦争を起こした。しかし人類は、問題をあくまで話し合いで解決することの価値にようやく気づき始め た。様々な取り組みを必死に行い、新たな国際法、新たな国際機関を構築してきた。先のミロシェビッチ氏が送られた国際刑事裁判所などもその一つである。仮 に騙されても裏切られても、あくまで対話を試みるという姿勢を知ったことは、人類の大きな成熟である。これを放棄してはならない。