エッセイ13 情報と判断

木村 英亮

パソコンや携帯が生活に入ってきたことによって、情報がすぐに取り出せるようになった。これによって、記憶の必要性が大幅に減り、判断力の重要性が 大きくなったと言っていいのであろうか。もしそうなら、知識の量より判断力、批判力の役割がいっそう大きくなった。すなわち、教育においては、詰め込みは 意味が小さくなり、自分で考える力を身につけさせることが大切になったはずである。ところが、家ではテレビがつけっぱなしで、外でもたえず携帯を見ており、情報のとりかたが受身になっている。ゆっくり考える暇がなく、判断が他人任せになっているようにもみえる。情報を生かすことなく、判断は画一的となり、情報のない社会と同じような結果となっている。

あるいは、人々は豊富な情報にもとづいて自分で判断していると思っているだけで、全体として操作されているのかも知れない。それは、情報が直接統制されている独裁国家と同じくらい恐ろしいことである。

アメリカ政府は、世界中からあらゆる公開の情報を集めるばかりでなく、CIA や FBIのような機関もつかって秘密情報を集め、政策を立案している。しかし、ベトナム戦争に続きイラク戦争でも失敗を重ねている。肝心のベトナム人やイラ ク人の意思をよくつかんでいるとは思えないのである。

情報の集め方に問題があるかもしれないが、もっと大きいのは、それに基づく判断が、先入観や目先の利害のために間違ってしまうのであろう。

膨大な資料を読んだ上で、誤った結論に達した論文のようなものである。