エッセイ14 技術と熟練

木村 英亮

沢山の原稿を裏表に印刷し、二つ折りし、ホッチキスで止める作業をするコピー機を見ると、人間よりずっと器用で、間違いもない。自動車工場で、さまざまなロボットが、組み立てを流れ作業でおこなっているのをテレビで見ると感嘆せざるをえない。技術の発達によって、生産の工程のなかでの熟練労働の役割が小さくなった。多くの工場では、生産はオートメーションで行われ、人間はそれを監視するだけである。

産業革命のときは、失業した職人による機械打ちこわし運動がおこった。いままた、根本的な技術革新によって、労働をとりまく環境は大きく変化した。

少なくなった第二次産業の工場は、賃金の低い中国など国外に移動し、さらに減っている。労働の生産性の向上によって余暇が増えるという事 情も重なって、国内では第三次産業、すなわちサービス業の比重が大きくなっている。しかも、情報化の進展によってサービス業の内容も変わっている。

さらに、サービス業のたとえば料理にしても、冷凍食品や缶詰などを使うことが多くなっている。調理に人間の手をかけることが少なくなったわけである。

このような傾向が進むなかで、第一次産業である農業の見直しが課題となっている。私が子供のころは、田舎で草むしりをし、縄をない、わら ぞうりを作っていた。子供達はみんな、このような手作業の技術を競っていた。手先の器用さは、将来の生活の基盤となったのである。農業は、食料を生産して いたばかりでなく、手作業の訓練の場でもあった。

同じようなことは、工業についても言える。私の育った八幡では、年に一度製鉄所が構内を市民に開放し、高炉や圧延工場を見せていた。そこでは大規模な設備を操る労働者も誇りをもっているように見えた。

いまは、農業、工業は、その比重自体が小さくなったばかりでなく、そこで手や体を使って作るという作業が減った。その傾向はサービス業においても同じである。

手作業という要素がわれわれの身の回りから少なくなったことが、人間にどのような影響をもたらしているのであろうか。