エッセイ16 結果と展望

木村 英亮

理論物理学の亀淵進は、「ニールス・ボーア先生のこと(4)」『図書』(2005.10)で、ボーアは校正のたびに原稿を修正し、なかなか校了にならなかったと書き、アインシュタインの論文が明快で理解しやすいのに対し、ボーアの論文は、晦渋で初めと終わりが矛盾していたりするという批判を紹介する。そうなる理由は、アインシュタインの論文が、ある範囲内で総括する閉包型であるのに対し、ボーアのものは結果より展望に重きをおく開放型の性格をもつからである。「ボーアが原子構造の理論を提出したとき、その理論をもっとも深く疑っていたのは、他ならぬボーア自身であった」(ハイゼンベルク)。

亀淵はこの文を「他人に分かり易く書くよりも、自らの考えを正しく書くことのほうが、ボーアにおいては優先したと思われる。」とまとめている。

たしかに、一見あまりに分かりやすく、はっきりした発言は疑ってみる必要がある。「郵政民営化」や「経済制裁」という主張も、明快である。しかし、政治も外交も、当面の政策と同時に、展望が必要である。一つの政策、一つの事件は、すっきり終わることはなく、次々に結果を生み、いつまでもいつまでも続いていくからである。

夏目漱石は、次のように書いている。「私は私の病気が継続であるという事に気が付いた時、欧州の戦争も恐らく何時の世からの継続だろうと考えた。けれども、それが何処からどう始まって、どう曲折して行くかの問題になると全く無知識なので、継続という言葉を解しない一般の人を、私はかえって羨ましく思っている。」(「硝子戸の中」)