平和を語り継ぐということ

近藤 泉

◆人は何かをする為にわざわざ生まれてきたのだろうね、とよく子ども達と話します。

私は、731部隊の訓練を受けた特攻隊の生き残り(実戦はしていません)の父、広島の爆心間近で生き残った特別被爆者の母の元に生まれたので、自分で「平和の申し子」だと信じています。加害者の立場(実際に加害はしていません)と被害者を両親に持つなんて、まるで何か決め事があって生を受けたとしか思えないからです。

◆私は、子ども達が小さい頃から共にニュースを見るようにし、色々な人との出会いを 作るよう努めてきました。また中国や沖縄・広島に連れて行き、人が為してしまった悲惨とこれから人が為すべきことを、その子の性格を大事にしながら語り合ってきました。

親の考えをおしつけ過ぎるのはよくないのでは、と心配する友人がいます。しかし、それは杞憂でしかありません。子ども達は親よりも真剣に歴史を学ぼうと し、親よりも深く人間の本質を感じ取っていると思うからです。「本物」の前では親の言葉はほんのきっかけに過ぎず、子ども自らが眼にし、耳を傾けたものを慎重に心に刻んでいっている様子は神々しささえ感じます(かなり親ばかかもしれませんが)。親であってもそれを尊重し、一人の人として応援していきたいと 常々思っています。

我が子は、社会から預かった「未来」だと信ずるからです。

◆昨年・今年と、小・中・高・大の子ども達を中国に連れて行くことができました。社会 人の長女は、かつて中国で幼稚園を2年間経験しました。

中国を訪れて子ども達にとって何が一番良かったかと言えば、一つは「報道や学校教育は、ほんの一部分 しか伝えてくれない。」事実を学んだことです。実際に出会った中国の人が日本人である自分に、まるで近所のおじさんかおばさんのように暖かく接してくれる ことにとても感動していました。目の前にいる人を信ずることの大切さ、民間外交という意味を肌で感じ、広い世界も一対一の人の信頼で成り立っていることを 知りました。

さらにもう一つ良かったことは、歴史を学ぶことの大切さが分かったことです。教育の場で与えられる内容が極めて表面的なことを知り、歴史の勉強が出来事 を覚えることではなく、その背景や人々の生きざまを慮り、歴史から何を学ぶのかを「自ら考える力」をつけることだと子ども自身が気づいたことです。

そして親以外のおとなの人が、自分達に物を教え、育ててくれようとしていることも知りました。これは、中国で出会った方々のみならず、 昨年の当研究所訪中団のみなさまや今夏炎暑の広島で60年前の母の足跡を訪ねる旅に同行して下さった事務局の竹本さんが、熱い志と愛情を子ども達に注いで 下さったことに深い感謝の念を禁じえません。

◆信ずれば、道は必ず拓いていく——そんな言葉が浮かんできます。平和を語り継ぐということは、けしてむづかしいことではない、子どもは自ら太陽の光に向かって伸びていく力を持っています。親は自分の信ずる道を誇りを持って歩いていくのみです。