「国際関係論」論

わたなべ ひろし

猪口孝『国際政治の見方―9・11後の日本外交』という本を、本屋の店頭で立ち読みした。

猪口さんの本は、例えば『国際政治経済の構図』だとか、『現代日本政治の基層』だとか、『国家と社会』だとか、『東アジアの国際政治』だとか、それこそ 僕の関心領域そのものピッタリのタイトルのオンパレードで、毎回毎回手にとってはみるのだが、なぜだかこれが最後まで読めない。まぁこちら側の浅学に大きな原因があるのでしょうが。

イラクの大量破壊兵器が問題になっていた2003年2月、(財)日本国際フォーラムというところが、「イラク問題について米国の立場と行動を支持する」という緊急提言を有志により発表している。

このアピールは、「イラク危機と北朝鮮危機は連動している」「『ならず者国家』の大量破壊兵器保有は許容できない」「米国支持の旗幟を鮮明にせよ」という 3点を骨子としたもので、アピール有志の中には、伊藤憲一(日本国際フォーラム理事長)、小此木政夫(慶應義塾大学教授)、北岡伸一(東京大学教授)、中 西輝政(京都大学教授)、袴田茂樹(青山学院大学教授)といった、「国際関係論」業界ではおなじみの方々が名を連ねており、その中に猪口さんの名前もあっ た。

この「緊急アピール」を出された方々は、その時点で「大量破壊兵器」などはイラクに存在せず、イラクが現在のような深刻な事態になっているのはブッシュ 米大統領の失政(それとも思惑?)のためであるということを、いったいどのように考えているのであろうか。その為に数多くの血も流れているのだ。

こういうアピールの中に猪口さんの名前をみつけ、僕は少し驚いた。「そーかー、猪口さんも緊急アピールしなきゃいけないような自分の意 見を、ちゃんと持っている人なんだぁ。今流行っている英論文のコレクションをしているだけの人じゃなかったんだぁ」としみじみと感じられたものである。

そしてあのような「緊急アピール」を出した猪口さんが、そのことについて今現在どのように考えているのか知りたいということもあって、懲りずに彼の新著を手にしたわけである。

そういう意味では、この本は面白かった。猪口さんの「言いたいこと」が、実に明快に分ったからである。彼がこの本で言っていることは、ようするに「日本 は対外政策において、もっと主体的に自主性をもって米国について行きなさい」ということである。米国からガミガミ言われる前に、米国の望んでいることを 「自分で」察して、進んで出来るような日本にならなければダメだと言っているのだ。

「何度お母さんが言えばわかるの!もう子どもじゃないんだから自分で出来るようにしなさい!」といったところか。

今回この本を覗いてみて、これまで猪口さんの著作をなぜ最後まで読めなかったのか分ったような気がした。それは、彼が自分で使っている「言葉」に対して、こだわりというか、屈託がまるで感じられないことに由来しているようだ。

例えば猪口さんは「日米同盟」という言葉を当り前のように使う。しかしそこでは、この言葉について戦後数十年、どれほどの葛藤や論争の歴史があったかな どということはスッポリ抜け落ちており、まったくツルリとしているのだ。手触りみたいなものが全く感じられない。同じようなことは、彼が本書で使っている 「冷戦」、「戦後」、「(東)アジア」、「ベトナム戦争」などといった言葉にも当てはまる。

こういう感覚って、いったいどこからくるのだろう。

ジャーナリストの吉田司さんの新著『王道楽土の戦争 戦後60年篇』に、次のようなことが書いてあった。

「コンピュータ電子社会(インターネットと宇宙衛星のセット)において、人間とは動く情報体としてカウントされる。〈心〉はコンピュータに感知されない から、〈無い〉ことになる。すると人間は、数値化された情報(ICカードに蓄積された銀行情報や病院・交通・買物・居住情報など)のデータ集積体=個人情 報のかたまりとして認知されることになる。」

きっと猪口さんにとって、国際政治における個々人や組織や政府やそれらの歴史などは、ここで吉田さんが言っているような「データ集積体=個人情報のかたまりとして認知され」ているに違いない。彼には〈心〉というものが感知されていないのだ。

「データの集積体」の集積体など、読まされて面白いはずが無い。

僕が大学の専攻をどうしようかと悩んでいたとき、哲学者の山田宗睦さんによる、歴史家である江口朴郎さんのエピソードを読んだ。両者はマルクス主義者でもある。

山田さんは1956年のソ連によるハンガリーへの武力干渉、いわゆるハンガリー事件についてマルクス主義者として悩み、江口さんの意見を求める。

そのとき江口さんは大要こう言ったという。

ハンガリー事件のように一つの事件が起こった場合、例えばソ連や中国やチトーといった当事者それぞれは自身の「文脈」を有しており、それを背景にして各自 の言動があり、行動がある。そういう意味では各当事者それぞれに言い分があり、一面の正しさを持っている。人間はある一つの立場に立てば盲点を生ずる。大 切なのは、一つの立場に立って、各当事者の良し悪しを判断することではなく、歴史的文脈のレベルで各当事者の理非曲直をはかることである。

猪口さんの学問が「データの集積体」に過ぎないのに対し、江口さんの学問は「思考」とか「思慮」とでもいったもの、本稿での言い方にするならば「〈心〉を感知すること」を重視しているということになるだろうか。

この両者の違いは、猪口さんの学問は他人でも取替えがきくが、江口さんの学問はまさに江口さん自身からしか学ぶことができないものということである。

僕はこれを読んで、自分の専攻を国際関係論に決めた。