「靖国参拝問題」について(7)

今井 康英

2006年最初の投稿は、「靖国参拝問題」です。

東京新聞元旦の社説によると、 日本は戦後、アジア重視といいながら、実際は日米主軸、先進工業国に 目を向けた外交を展開してきました。しかし、二十一世紀、経済力を高め、 安定を確保するにはアジアとの地域ぐるみのつながりを一層強めることなしに、 展望は開けません。

ところが、この肝心なとき、 政治次元での日本の存在が希薄です。先の東アジアサミット、 小泉首相は中国や韓国との首脳会談を開けませんでした。 靖国参拝をきっかけとする先の戦争責任に関する認識違いや反発が原因です。 いま中国は、増強する経済力を土台に、日本をしのいで、 アジアへの影響力を広げつつあります。 そんな時に、小泉首相は対日批判の材料を与えてしまったのです。 戦後の日本の為政者は、アジア諸国と実に注意深く、 片言隻句にも神経を使ってつきあいました。 その謙虚さが経済支援や各種の交流などと相まって、 アジアでの存在感を増してきたのです。 歴史への反省を忘れては、「多大の損害と苦痛を与えた」 (戦後60年小泉首相談話)アジアの国々の信頼を得ることはできません。 中国の軍事力増強が「脅威」という見方もありますが、軍拡競争はおろかです。 軍事力行使を抑制する地域の枠組みづくりなど、外交による対応が必要です。 反目はお互いの不利益にしかなりません。経済の交流の深さ、広さを、 政治も含めた全体の関係改善に昇華させるのは、為政者の役割です。 (この意味では、小泉氏は総理失格だと私も思います。)

私見ながら、日本はユーラシア大陸の東隣に位置する島国であり、 遥か太平洋を隔てたアメリカ大陸の出島ではない。 地球儀を見れば、誰でもそう思われるに違いない。 有史以来、中国、朝鮮とは隣国であり、友好往来を続けてきた。 アメリカ大陸諸国とは近代以降の友好往来であり、200年にも満たない。 日本は本よりアジア諸国の一員であり、 米国の属国であり続けるのは本意ではないと思われる。 日本が島国であるゆえに、古来、日本固有の文化を育んできたことは 否定できないにしても、大陸伝来の文化にどれほど恩恵を受けてきたか、 計り知れないとも思われる。 今や、日本は地球上のあらゆる諸国と友好往来が出来る国となった。 (国交がないのは、唯一、北朝鮮ぐらいだが、友好往来がないわけではない。) 日米同盟だけが頼りだという感覚は、いかにも近視眼である。 隣国を敵視する政策は、短期的には優位に立てるかもしれないが、 長期的には互に無駄な消耗戦にしかならない気がします。 日本に生まれたから日本人だというのは、自然な感情だと思われる。 しかし、これからはいよいよグローバリゼーションの時代であるから、 島国根性を払拭して、同時に、地球に共に生まれた地球人である という意識を涵養していくことがますます重要になると思われる。 一国の総理が、靖国神社やら伊勢神宮やらに参拝して、 ミミッチイ島国根性を発揚しているうちは、 地球人としてはまだまだ未熟であると言わざるを得ない。 日本人に限らないが、宇宙的平和観の確立が要請される所以でもあると思う。 本研究所並びに「九条を広める会」の存在意義も ここにあると思われます。