第2回講演会 加藤幸廣(前青森公立大学教授、本研究所会員)

事務局

中央アジア・アフガニスタン四方山話

2002年6月29日(土)
かながわ県民センター304号室

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日本人は中央アジアやアフガニスタンにはほとんど無関心であった。しかし1999年のキルギスでの日本人人質事件や2001年の世界貿易センタービル破壊事件以後に関心を持つようになった。

現在の中央アジア・アフガニスタンの国境は、ロシアやイギリスが恣意的に引いたものであるので、歴史的に見ると中央アジアとアフガニスタンを分けて考えることはできない。

ソ連邦崩壊後、中央アジア諸国は独立を果たしたが、いずれの国も権威主義体制をとるようになった。その結果、民主化を求める人々とイスラム運動が結びつき、反政府運動が高まった。この反政府運動の中には急進的な集団があり、武装闘争を始めるようになり、社会不安が高まった。政治指導者らはイスラム政治 組織に脅威を感じ、弾圧するようになった。弾圧された若者らはアフガニスタンのゲリラ基地で軍事的訓練を受け、中央アジア諸国やチェチェンなどに派遣され て、反政府運動や武力闘争を行なっている。

このようなイスラム武装勢力の主な資金源は麻薬である。1999年にはアフガニスタンでは世界の麻薬生産高の約77%にあたる4500トンの麻薬が製造された。麻薬栽培くらいしかこの地では産業はなく、それでしか生計を立てられない状態である。

メディアは、必ずしも正確にアフガニスタンの実情を報道していない。重要なことであるが、タリバンとビン・ラディンは関係が悪く、何度もビン・ラディンへの暗殺未遂事件があったと言われている。タリバンの指導者であるオマルがビン・ラディンを匿っていたという米国の主張は、事実を認識していないと言えよう。こ の地域は想像を絶する険しい山岳地帯であるので、数千人の軍隊を投入してもビン・ラディンやオマルを捕らえることは非常に難しい。カリザイ政権の支配地域 はカブールを中心とした極めて狭い地域に限られているので、いつアフガニスタンに平和が訪れるか予想できない。