深沢家土蔵を訪ねて

遠藤 美純

深沢家土蔵

先月、あきる野市にある深沢家屋敷跡の土蔵を訪ねた。かの五日市憲法草案が発見された土蔵だ。以前より一度訪ねてみたいと思っていた場所だが、憲法をめぐってより具体的な議論がされるようになった今になってようやく足を運んでみた。

JR 武蔵五日市駅前の通りを上り方向に進み、最初の交差点を左折する。あとは一本道。普通な住宅地を抜け、あとはひたすらその道を数キロ進む。深沢家屋敷跡はその道の途中、こんなところにというような場所にある。門をくぐって、坂を登ると目当ての土蔵だ。

五日市憲法草案が、色川大吉氏のチームによって、この土蔵から発見されたのは 1968 年のこと。その優れて民主的な内容や、それが多摩の山村で作成されたことについては、同氏らの業績によって既に良く知られている。また憲法草案発見の経緯や、憲法草案の起草者である千葉卓三郎については、当時の色川研究室の一員として調査に参加した江井秀雄氏の著作『自由民権に輝いた青春 ―卓三郎・自由を求めてのたたかい』に詳しい。

この五日市憲法草案の特色は、人権の尊重とその具体的な規定にある。お上が臣民にこうするべしなどというものではなく、「私たち」が国家にこうすべしと命ずるものだ。その底流にあるものは国家権力への不信と、それへの抵抗の精神である。大日本帝国憲法を作った人々と五日市憲法草案を作った人々の差は、一つには権力との距離、もっとはっきり言えば殴る側と殴られる側の違いであろう。21世紀にあって日本国憲法について考える今の自分がどちらの側にいるのか、ふと考えてみたりする。

なお、この憲法草案が作成されたころ、この地は我が研究所が現在その活動の中心をおいている神奈川県に属していた。ただ、憲法起草者の千葉卓三郎 は、自らの住所を「自由権下、不羈郡浩然気村貴重番智」と称していた。その烈々たる気概、こじつけながらも同じ神奈川の地より「地球宇宙」を冠する我が研究所にも、相通じるものがあるのかもしれない。