エッセイ 30 対米戦争勃発

木村 英亮

戦前1933年4月、ちょうど滝川事件がおきたとき共産青年同盟機関紙『赤門戦士』を引き継ぎ1935年初めに逮捕された牧瀬恒二の妻、牧瀬菊枝 は、1941年12月8日、対米英宣戦のラジオを聞いた夫の母が、大声で「まあ、あきれた、日本もずいぶん自信があるのねえ」と言い、驚いた菊枝が耳に口 を寄せて、「おかあさま、そんなこと、どなたにもおっしゃらないほうがいいですよ」と言った、と記している(『1930年代を生きる』、思想の科学社、 1983,177-178ページ)。

わたしは1942年4月、姫路市の郊外で、国民学校と改称されたばかりの小学校に入学する年齢であったが、前年暮開戦のラジオを聞いた 母が暗い顔で大変なことになったと言ったのを記憶している。入学後担任の女の先生が、アメリカは豆腐とすれば日本は針のように小さいとたとえて話したこ と、3年のとき、休んだ担任の先生のかわりに校長先生が教室に来て、イワンの馬鹿の話をしたことも覚えている。いま、戦争中日本人みなが好戦的であったよ うに言う人がいるが、決してそうではなかった。

アメリカはそのとき以来今日まで、重苦しく日本の上にのしかかっている。

アメリカは、極東軍事裁判で日本が「平和に対する罪」、「人道に対する罪」、「通常の戦争犯罪」を犯したとして裁いたが、ヴェトナム戦争 では自らがそのいずれも犯し、敗北した。日本は、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争などでアメリカを助けた。日本は先の戦争ではアメリカに対して、戦後はアメリカ とともにこれらの罪を繰り返し犯すことになったが、このことを深く考えていれば、イラク攻撃に加担することはできなかったはずである。