エッセイ 31 新しい毛沢東像

木村 英亮

私の毛沢東観は、エドガー・スノーの『中国の赤い星』 によってつくられており、文化大革命によって若干修正されたとはいえ、スターリンとはかなり違った指導者と考えてきた。しかし、最近翻訳された、ユン・チアンらの『マオ』(講談社)を読むと、毛沢東もまた、恐怖政治で団結を維持してきたようである。結局このようなやり方でしか、統一と革命を成功させること はできなかったのであろうか。

成し遂げたことは偉大であったが、その方法は桁外れに残酷であった。日本史のなかの人物としては織田信長と共通のところがあるようである。

また、毛沢東をはじめとする中国革命の指導者が、革命の過程でも現在でも、かなり特権的な生活をしており、それを当然と思っていることに は違和感がある。たとえば長征のとき、毛沢東は自分の考えた担架で移動したと書かれているが、このようなことは、欠くことのできない人のためには許される のであろうか。文化大革命のときも現在も、最高指導者は中南海という隔離された別世界に住んでいるという。これは必要悪なのであろうか。社会主義市場経済 のなかで、腐敗が拡がっていると報じられているが、これも必要悪と考える人がいてもおかしくない。

比較的格差の少ない日本では、理解しがたいことである。