エッセイ 32 スターリンの死

木村 英亮

スターリンは1953年3月5日に74歳で死んだが、それは日本でも号外がでるほどの大事件であった。「スターリン遂に死す」と見出しのつけられた号外を中国史の上原淳道氏からいただき、拙著『ソ連の歴史』(山川出版社、1991.)に写真版で載せた。この死については謎が多い。チェチェン人アフトルハーノフの『スターリン暗殺事件』(鈴木博信訳、原題『スターリンの死の謎』、ハヤカワ文庫、1980.)では、スターリンの死は、粛清をおそれたベリヤ、マレンコフ、フルシチョフ、ブルガーニンの陰謀の結果であろう、としている。

スターリンは一人で生活しており、呼ばれない限り、他人が部屋に入ることができなかった。3月1日明け方までフルシチョフらと会食してい たが、昼になっても起きてこず、夜10時に警備隊副隊長が急ぎの重要書類をもって入ってはじめて床に横たわっているのを発見したのである。ただちにマレン コフに電話したが、医者がきたのは翌日の朝9時であった。メドヴェージェフは、この2日の夜フルシチョフらが権力問題について取り決め、死後のイニシアチ ブをとったのであろうと推測している。スターリンの下で絶大な権力を手中にしていたベリヤは6月に逮捕され、裁判の後処刑される。現在までに明らかになっ ていることは、ジョレス&ロイ・メドヴェージェフ『知られざるスターリン』(久保英雄訳、現代思潮新社、2003.)に書かれている。

スターリンが死んだ5日の看護婦、使用人、警護隊員らの姿について、娘のスヴェトラーナは、回想録に次のように書いている。

「ここでは、すべてが作りものではなく、真情にあふれていた。だれひとり、他人の前に自分の悲しみを、自分の忠誠を見せつけようとするも のはなかった。みなが長年知り合ってきた仲だった。わたしのこともみなが知っていてくれた。わたしがわるい娘であったことも、父がわるい父親であったこと も、けれど、それでもやはり父はわたしを愛し、わたしは父を愛していたことを。ここではだれひとり、父を神とも、超人とも、天才とも、悪人とも見ているも のはなかった。父は、最もありふれた人間的な資質のゆえに愛され、尊敬されていたのだった。こういう資質については、いつも使用人が誤りのない判断をくだ すものである」(『スベトラーナ回想録』、新潮社、1967,27-28ページ.)。