エッセイ 35 怒りについて

木村 英亮

怒りのエネルギーは非常に大きい。改革や革命は、人びとの怒りを結集して実現される。肉親を誘拐された拉致被害者の会の人びとの怒りは、日本国民 を動かし、政府を動かしている。朝鮮の側には、長い植民地時代に積もり積もった桁違いの怒りがあるはずである。日本としては、このこともじゅうぶん頭にい れておくべきであろう。

一億中流などとみんなが満足しているときには、怒りもなく、改革も難しい。もちろん「愚者の天国」ということばもあり、本当に怒るよう な状態でないのかは疑問であるが、上下の格差が広がってもやむをえない考え方は、「下流」になった階層の不満や怒りを蓄積させるので、改革を進めていくに は都合がいいかも知れない。

社会の不平等化が極端にまで進み、ひとにぎりの人だけで政治・経済が動かされ、大部分の人びとには自分の怒りを政治に反映させる可能性がなくなると、改革の手段はテロだけとなる。

19世紀末から20世紀初めのロシアでは、皇帝の権力が絶対的で政治を変えるにはテロしかないような絶望的状況があり、暗殺が頻繁におこった。たとえば、1908年のロシアの死刑は他のヨーロッパ諸国全部を合わせたものの21倍で、絞首台は首相の名をとってストルイピンのネクタイと呼ば れた。これに対するテロルも盛んで、1907年だけで3000人が屠られた。ストルイピン自身も1911年に暗殺された。

レーニンの兄はアレクサンドル三世暗殺陰謀に加わり処刑された。これは弟のレーニンを革命家にした。かれはついにはロシア革命によって旧体制を転覆し、ソヴェト政権を誕生させる。

かれは、兄がテロリストであったとしてペテルブルク大学を受験することができず、カザン大学に入学したが、まもなく退学となった。