エッセイ 38 盲点について

木村 英亮

高い山に登ったり、航空機からみると、地表の全体的状況がよく見える。社会の問題も「上」のほうには資料などの便宜もあり、よく分かるはずである。ところが、私のみるところでは、実は逆で、「下」から見た方がよくわかるようである。政治の最高権力者のところには情報が沢山集まり総合的判断ができやすいはずである。しかし、都合の悪いことは、どうしても伝わりにくく盲点が生まれる。水戸黄門や大久保彦左衛門が求められるわけである。

1968-69年の東大紛争のとき、私は助手であったが、ほとんどの学生たちが知っているのに、教授にはまったく伝わっていないことが多くあった。また、いろんな大学の教員や大学院の学生と話し合った機会に気づいたのは、東大の教授や大学院学生は夢にも思っていなかったようであるが、他の大学の教授は事態の収拾を支持しているばあいでも、東大が潰れるとをむしろ望んでいるようであったことである。

そのときは、膨大な労力を使って沢山の改革案がつくられたようであるが、実行に移されることもなく、結局もとのもくあみとなった。

現在、大学改革は、文部科学省や公権力の強引な「上からの改革」によって推し進められている。大学自体で改革ができなかったわけなので、自業自得といわれてもいたしかたない。しかし、学生はもちろん教員の意見も聞かず、学長にさえ逆らっておこなう「改革」とは何であろうか。このようなやり方が教育、研究のためになるとは思われない。