エッセイ39 定年退職のごあいさつ

木村 英亮

私は血を凝固させる血小板が少なめで先日は1mm3あたり14万であった。普通の人は13-35万なので下の限界に近い。 1-2万くらいでは手術ができず困る。血液学専門の医者と話したとき、10万くらいの方が脳血栓などがおこりにくくていいのではと質問すると、その通り で、原始時代には怪我が多かったので血小板は多いほうがよかったがいまはそんなに多い必要はない、わたしくらいの方がいいとも言えるとのことであった。体 格や顔立ちなどは短い期間でもかなり変わるが、血液の成分などは条件が変化しても変わらないというわけである。政治的判断力などもローマ時代からあまり変 わっていないようであるが、自然科学や技術は著しく進歩して核兵器なども作り出した。この間の大きなアンバランスは、人類の存続を危機にさらしている。

先日胃カメラで胃と十二指腸を見てもらったが、異常はなかった。胃カメラも小型化が進み消毒も完全になったので、希望によって鼻からで も入れられるし、エイズに感染することもなくなったということである。胃弱の夏目漱石は49歳で死んだが、いまは寿命が長くなり私はすでに70歳である。 他方で研究をとりまく技術的条件は短期間で非常に改善され、30年前ソ連研究といまの条件を比べれば大違いである。たとえばモスクワまでの航空運賃はいま の数倍で、留学の機会も少なく、資料を見ることも難しかった。大体本人が生きているうちに研究業績は古くなってしまう。

研究者とくに年をとった研究者の社会的役割のひとつは、言いたいことを言い、したいことをすることである、と思う。研究者は言いたいこ とを言うことに社会的存在価値があるので、そうでなくなったら世の中は終わりである。もちろんみんなが言いたいことが言える社会が理想であろう。

いつも青年のなかにいることは刺激になってよい。学生のなかに自分を見ることもある。しかし毎週いくつもの講義の準備をするのは楽でな い。講義が終わったとたんに次の準備のために頭をしぼらなければならない。講義はほんとうのところひとつでないと無理である。会議や雑用から解放されるの もありがたい。

これからの研究者は、本当にご苦労さまである。