二酔人四方山問答(26)

岩木 秀樹

A:このように既存の社会との思想的・社会的対立が深刻になった頃、ムハンマドにとって大きな危機の時代を迎えたんだ。

B:どんなことが起こったの。

A:619年には妻ハディージャ、その後間もなく伯父アブー・ターリブが亡くなったんだ。

B:そりゃ大変だろうな。身近な人の死に直面したんだ。

A:最初のイスラーム教徒であり夫の良き理解者で励まし役でもあったハディージャの死は、ムハンマドの宗教者としての生活に精神的打撃を与えた。ハーシム家の家長でもあり、ムハンマドを庇護してきたアブー・ターリブの死は、政治的打撃だった。

B:精神的打撃と政治的打撃か。この後、反ムハンマド、反イスラーム勢力から色々な攻撃が加えられたんだろうな。

A:そうなんだ。ただこのような危機の時期にある宗教的体験をするんだ。

B:へー、おもしろいね。危機や迫害の時期が転機になったり、重要な宗教的意味合いを持つということは他の宗教にも見られるよね。どういう体験をしたの。

A:このような困難な時期にムハンマドは夜の旅と昇天の旅を経験したんだ。それはムハンマドとイスラームにとって大きな転機を迎える622年のヒジュラ(聖遷)のおよそ1年前であったとされている。

B:夜の旅と昇天の旅ってどんなことなの。

A:夜の旅とは、一夜のうちにムハンマドがメッカからエルサレムへ往復したことであり、昇天の旅とは、その時エルサレムにおいて、かつてのソロモンの神殿から七層の天に昇り、諸預言者たちに出会い、ついにはアッラーの御許に達するというものだ。

B:えー、でも当時は飛行機も無かったのに、有り得ないよ。

A:確かにそうなんだけれど、夜の旅が歴史的事実で肉体を伴う現実的な体験であったのか、または宗教的体験もしくは脳内現象で魂の飛翔による旅であったのかは、それほど問題ではないのかもしれない。

B:まあ、現代の科学で全ての社会現象が把握できるとは考えないけれど、やはり人知の及ばない神秘的な感じがするな。

A:イスラームは秘蹟やミラクルの少ない比較的合理的な宗教だと言われているが、この夜の旅と昇天の旅は、やはり神秘的なものだろう。

B:そういえば、キリスト教では秘蹟などをよく聞くけれど、イスラームではあまり聞かないね。

A:ただイエスは医学の知識がある程度あったということを聞いたことがある。医学の知識があれば、例えばこのつぼを押せば病気が治るとか、止血点を押さえれば血が止まるということがある。医学の知識がない人から見れば、それはミラクル、マジカルに見えるだろう。

B:なるほど。逆に怪しいとされている風習や宗教的儀式が人間によい効果をもたらすということが科学的に証明できるかもね。

A:それはある。香をたくことは、害虫よけやアロマテラピー効果がある。風水などで、台所は東向きがよいなどと言われるのは、昔は電気が無く、朝早くから炊事をするためには日光が差し込まなくてはならなかったからだ。

B:なるほどね。案外、科学的根拠があるものがあるんだ。

A:だから一概に宗教的体験が怪しいとしてはいけないんだ。そもそも宗教実践者は怪しいなどとは思っていない。

B:ただその態度もどうかと思うな。利用されたり騙される危険性があるんじゃないかな。

A:その通り。だから宗教実践者も自宗教を客観的に見つめ直すということも重要だ。宗教と科学、実践と客観の往復作業が大切だと思う。

(つづく)