二酔人四方山問答(28)

岩木 秀樹

B:この夜の旅と昇天の旅の後、いよいよヒジュラ(聖遷)を迎えるんだよね。

A:西暦622年にムハンマドらはメッカからヤスリブの町に移住した。

B:えっ、ヤスリブって何。メッカからメディナに移ったんじゃないの。

A:当時はまだヤスリブという名前だったんだ。ムハンマドらがそこにイスラーム共同体を作った後で、メディナという名前になった。

B:メディナってどんな意味なの。

A:町という意味だ。この町の名前は正確には「メディナ・アンナビー」つまり「預言者の町」というものだが、省略されて「メディナ(町)」 となったんだ。町という名の町、町と言えば預言者のいる所なんだ。こういうのはアラビア語に他にもある。サハラとは砂漠という意味なんだ。だからサハラ砂 漠とは「砂漠砂漠」ということになるんだけれど、あの地では砂漠と言えば、やはりサハラなんだろう。

B:でもそもそも何でメディナに移住しなければならなかったの。

A:メッカからのプッシュ要因と、メディナへのプル要因がある。プッシュ要因としては、やはり妻や伯父を失い後ろ盾を無くしたムハンマドが迫害から逃れるためであり、メッカの人々から見れば厄介者を追放することが出来たということだ。

B:でも単に逃げたということではないんでしょ。

A:そう。プル要因もかなり大きかった。当時のメディナは抗争が絶えなく、調停をする者、和平と統一をもたらす指導者が必要であった。そこでムハンマドを調停者、指導者として迎えたんだ。

B:なるほどそういう背景があったのか。

A:他の要因をさらに言えば、メディナには当時ユダヤ教徒がかなりいて、一神教的な考え方には慣れていたのでイスラームを受け入れやすかっ た。またメッカではムハンマドの権威を受け入れることは彼の属するハーシム家の覇権を認めることになりそれへの抵抗はあったが、メディナはよその土地でも あり、家の権威は関係なく、ムハンマド個人の資質や教えに純粋に共感した人々が自然に彼に従っていけた。

B:このヒジュラはイスラームにとって重要なんでしょ。

A:そうだ。最も重要と言っても過言でないだろう。メッカにおける不安定で他律的なムスリム集団がイスラームの理想に従う自立的なイスラーム共同体であるウンマを創る契機となった。

B:この西暦622年がイスラーム暦の元年だよね。

A:ムハンマドの生誕の年でもなく、最初に啓示がくだされた年でもなく、このヒジュラがイスラーム暦の起点とされたことはそれがどれほど重要であったかが解る。ユダヤ教における出エジプトやキリスト教におけるイエスの誕生にも比すべき人類史的意味を持つものなんだ。

(つづく)