プーチン大統領の来日に寄せて

中西 治

2016年12月15 日は私たちの研究所の設立15周年記念日でした。

この日にロシアのプーチン大統領が日本を訪れ、山口県と東京都で安倍晋三首相と会談したあと16日午後、東京で共同記者会見をしました。この会見をテレビで見た感想を書きます。

第一は、安倍首相は態度も言葉ももっと謙虚でないといけません。はるばる遠くからきた客人に「ウラジーミル、君は」などという横柄な言葉を使ってはなりません。これは目下の人に対する言葉です。先日もプーチンさんとロシア人記者団との会見で一人のロシア人記者が安倍さんのこの言葉を問題にしていました。プーチンさんは安倍さんを擁護し、この記者をなだめていました。ファストネームで呼び、親愛の情を示すアメリカ人とロシア人は違います。

第二は、歴史についての無知です。プーチンさんは日本人記者の質問に答えて明治以降のクリル(千島)列島とサハリン(樺太)の歴史を語ろうとしましたが、途中でやめました。

かわりに私の考えを書きます。

私は、北方領土問題の出発点は1945年8月15日に日本が受諾した「ポツダム宣言」にある、と考えています。この宣言は「日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と述べています。つまり、この段階で日本の主権下に置かれていたのは大きな四つの島だけであり、その他の小さな島は「連合国が日本の島だ」と決定してくれなければ日本の領土ではなかったのです。

私は当時、中学1年生でしたが、「良くぞ4島が残った」と思っていました。それは戦争中に日本がシンガポールを占領し、「昭南島」と命名したとき、私たち国民学校(小学校)の児童はすぐに島の名前を書き替えさせられました。私は戦争に勝ってとったものは、すぐ、勝った国のものになると思っていました。だから、負ければ、とられるのは当たり前と思っていました。

1951年9月8日に日本国が連合国とサンフランシスコで締結した「平和条約」は「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定していました。

この放棄した「千島列島」に北千島と南千島(択捉島と国後島)が含まれていることは当時の西村熊雄政府委員(外務省条約局長)も1951年10月19日の国会での答弁で認めていました。これが当時の日本人のほぼ一致した認識でした。つまり、択捉島と国後島は放棄したのです。この一度「放棄した」島々を後に「放棄していない」と言い出したために日本の主張は国際的にも説得力がないのです。

1956年10月19日に署名された「日ソ共同宣言」においてソヴェトは平和条約の締結後に歯舞諸島と色丹島を日本に引き渡すことに同意しました。これはソヴェトがこれらの島々を千島列島の一部ではなく、北海道の延長線上にある島々と認識した結果であると私は考えています。

それから60年経ちました。

第三は、なぜこのように長い間、日ソ・日ロ交渉が停滞したのかです。それは米国が日ソ交渉の妥結に横やりを入れてきたからです。1956年の日ソ交渉のさい日本は一時、歯舞諸島と色丹島の返還だけで妥協しようか考えたときがありました。これを知った米国のダレス国務長官が、もし日本がそれで妥結するなら、米国は沖縄を返さないと言ってきたのです。これで日本は日ソ交渉を妥結できなくなりました。日ロ交渉も進まなかったのです。いまロシアが恐れているのは、歯舞諸島と色丹島を日本に引き渡したあと、そこに米軍が駐留し、基地をつくることです。択捉島と国後島は歯舞諸島と色丹島よりもはるかに重要な戦略拠点です。ロシアはこれも日本に引き渡すわけにはいかないのです。

第四は、私は今回、日ロ両国が歯舞・色丹・択捉・国後での共同経済活動の実施について交渉の開始を決めたことを歓迎しています。私は交渉の前途を必ずしも楽観視していませんが、この交渉が成功し、50年、100年と日本人とロシア人が共に働くことになれば、問題は自ずと解決するだろうと考えています。

もともと地球上には一人の人間もおらず、土地は誰のものでもなく、どこの国のものでもなかったのです。固有の土地などはなかったのです。必要とする人々が仲良くいっしょに利用すれば良いのです。

私はすべての係争地は係争国で共同利用すれば良いと考えています

次は日米関係について論じます。