ВТОРАЯ ЧЕЧЕНСКАЯ (第二のチェチェンの)

宮川 真一

チェチェンをめぐる戦いは、ロシア国内におけるナショナリズムの複雑さを示している。国家が弱体化して社会が国家から相対的に自立するなか、ペレストロイカ以来ロシア人の間では「国家意識」としてのナショナル・アイデンティティは希薄になっている。同時に、チェチェン人などロシア内の少数民族では、「民族意識」としてのナショナル・アイデンティティは高揚している。ロシアが何を原理として新たな国家を統合し、いかなる国家形態を模索しているのか、ロシアの国家としてのアイデンティティが問われている。今日ロシア国内での主要な問題はマジョリティのロシア人とマイノリティの非ロシア人との関係である。ツィガンコフは、もし非帝国的な、新しいリベラルなナショナル・アイデンティティが形成されなければ、ロシアに残された選択肢は新たな全体主義体制か民主政府かではなく、分裂と内戦を導くことになるであろうと警告を発している。

歴史を振り返れば、現代の「チェチェン戦争」は、帝政ロシアからソビエト時代に跨る数世紀に及ぶ「大カフカス戦争」の一環である。この戦争の本質はロシア帝国主義に対するチェチェン民族解放闘争であった。「第二次チェチェン戦争」には様々な要因が交錯している。カフカス山脈南のグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンや中央アジア諸国への政治的影響力を維持するという地政学的要因が挙げられる。非ロシア系住民のロシアからの分離独立運動を刺激することを警戒する政治的な要因も挙げられよう。チェチェンは石油戦略の要衝の地にあることが経済的な要因をなしている。「第一次チェチェン戦争」の挫折、NATOの一方的拡大、セルビアへのNATOの空爆などはロシア民族主義を大いに傷つけた。チェチェンでの戦勝は1990年代の混乱と屈辱の終わりを画す、輝かしい出来事だった。2001年米国同時多発テロ事件以降、ロシア社会でもイスラム嫌いの風潮が強まった。完全に腐敗したロシアの軍隊と警察は、チェチェンでやりたい放題の限りを尽くしている。殺人、略奪は日常茶飯事となってしまった。こうして、100万人のチェチェン人のうち30万人が犠牲となり、50万人が難民となった。

「第一次チェチェン戦争」は世論の7割が反対した。「第二次チェチェン戦争」は、世論の支持を背景にロシア側優位に進められている。そこでは数度におよぶ大規模なテロ事件が追い風となった。1999年モスクワ連続爆弾テロ事件、2001年米国同時多発テロ事件、2002年モスクワ劇場占拠事件、2004年ベスラン学校占拠事件である。テロリズムとは「組織的暴力による恐怖を強制の手段として用いようとする思想や行動」であり、次のように分類される。多くの民族解放運動における反体制集団によって実行されるような「抵抗テロリズム」、世界に衝撃を与えて特定の政治的不満と課題を認めさせようとする「表示テロリズム」、宗教的信条に動機づけされた「救世主テロリズム」、あるレジームによってそれ自身における無辜の市民や「敵」に対して日常的に行使される「国家テロリズム」である。

次回以降、これら大規模テロ事件を検証しつつ、この地で何が起きているのかを探りたいと思う。

※拙稿「『第二次チェチェン戦争』におけるテロリズム」『ソシオロジカ』(創価大学社会学会)Vol.28、No.2、2004年;同「現代ロシアのナショナル・アイデンティティと『第二次チェチェン戦争』」『比較文明』(比較文明学会)21、2005年。