戦争によって得たものは戦争によって失う

わたなべ ひろし

昨年は戦後60年であった。

日本近現代史家の中村政則さんは昨年出版した自著『戦後史』の中で、「貫戦史(Trans-war history)」という言葉を提唱している。

これは、僕の理解した限りでは、「戦争」を軸に戦後60年間を「戦後史」としてトータルに捉えるというものである。そして本書において著者が特に言及している「戦争」は、第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、9・11同時多発テロ、イラク戦争、そして戦後国際体制としての「冷戦」などであり、これらの戦争を画期として戦後60年を4つに時期区分している。

それでは、なぜ「戦争」が軸となるのか。

中村さんによれば、「戦争は国際関係を大きく変え、国内の政治経済、社会構造に激変をもたらし、人びとの思考や心理に大きな影響を与える」ものであり、「戦争が終わったからといって、その影響は消えるわけではない」からであるという。

戦争は戦後も次の戦争まで社会のあらゆるレベルで影響を与えるということであろうか。

ところでこの「貫戦史」という観点は、戦後だけではなく、明治から昭和20年の敗戦までの80年間にもあてはまるのではないだろうか。

それはこういうことである。

戦前の日本が国際社会におけるヒエラルキーの階梯をのぼるのに際し、最も有効な手段、最終的な手段としたのは戦争であった。戦争に勝つことによって、日本はその国際的地位を上昇させていったのである。

帝国主義国としての足場を固めるための「本源的蓄積」としての日清戦争。

先進列強のサロンに加わるため、後発の帝国主義国同士の「予選」としての日露戦争。

帝国主義列強として、利益の享受者となった第一次大戦。

このように、日本は戦争に依拠して近代化を推進してきた。

もちろん自国の強大化の手段として戦争を使うというのは、日本に限ったことではない。しかし日本は非欧米国として初めて欧米列強に伍して大国となった国であり、そのため自国の運営を他人の土俵とルールに合わせて展開しなければならなかったのであるから、国際社会における立身出世のため「戦争」に依拠しなければならない度合いというものは、欧米列強の比ではなかったと思う。

その結果、戦前の日本社会において「戦争」というものが占めるウェイトは、極めて大きなものになった。つまり日本の場合、各戦争が戦後も影響を与えたといった程度のレベルなのではなく、「最後は戦争に勝つ」ということでようやく完結するように国の仕組みそのものが出来上がっていたのではないか。

その意味で、僕は明治から昭和20年の敗戦にいたる80年間は、まさに「貫戦史」としての連続過程として捉えるべきであると思う。

しかし戦争をやって永久に勝ち続け利益を受ける一方の国家などというものは、人類史上存在していない。いつかはきっと負けることになる。それは人は必ず死ぬというのと同じく必然的なことなのである。

戦争を国力増強や国際社会における立身出世のための手段とし、パワーポリティックスに依拠した国家戦略の下、国家を運営していくとその結果はどうなるか。少なくとも日本の場合、答えは1回出ているのである。

僕たち日本国民が、アジア・太平洋戦争から学ぶべき歴史の教訓とは、「戦争によって得たものは戦争によって失う」ということだと思う。