『華氏911』に知識人の真骨頂を見る

中西 治

華氏 911 コレクターズ・エディション

マイケル・ムーア監督の映画『華氏911』を見た。きわめて真面目な娯楽記録映画である。しかも、現代アメリカ社会の構造とその動態を見事に描き出している。

アメリカ社会の頂点に立ち、ホワイトハウスの主となっているのはテキサスの石油屋ブッシュ一族である。この一族はサウジアラビアの石油王サウド王家や富豪ラディン一族と利権で固く結びついている。2001年9月11日のあの日、首都ワシントンの超高級ホテルでアメリカの軍需産業カーライル・グループの株主総会が開かれていた。ブッシュ大統領の父ブッシュ元大統領や大株主のラディン一族が出席していた。

あの事件を実行したといわれる19人のうち15人はサウジアラビア人である。しかも、9月15日にアメリカははやくもラディン一族のオサマ・ビン・ラディンをあの事件の主犯と断定し、9月20日にはアフガニスタンのタリバン政権に対してオサマ・ビン・ラディンと彼の組織アルカイダの全員の引き渡しを要求していた。

ところが、出国規制が厳しかった9月14日から24日までのあいだにブッシュ政権は在米サウジアラビア人142人を最優先で帰国させ、さらに9月29日にはラディン一族24人の緊急出国を認めている。そのあと10月7日にアメリカはアフガンに対して爆撃を開始している。

何とも奇妙な話しである。もし、アメリカがあの事件を究明し、ことの真相を明らかにしようというのであるならば、出国規制はもっと厳格に実施しなければならなかったであろうし、アメリカがあの事件に報復しようというのであるならば、それはアフガンに対してではなく、サウジに対してであるし、タリバンに対してではなく、ラディン一族に対してであったであろう。

ブッシュに対抗するゴアもなんとも頼りない。2000年の大統領選挙でブッシュと戦い、最後は連邦最高裁判所まで争ったゴアが最終場面では道化役を演じている。選挙後の議会で選挙結果に異議を唱える一連の民主党の下院議員の発言をゴア副大統領は上院議長として阻止している。その理由はこれらの下院議員の動議に賛同して署名する上院議員が一人もいないということなのである。ゴアを含めて民主党にこれらの動議に賛同する上院議員が一人も居ないというのであろうか。

ゴアとしては連邦最高裁判所の決定のあと選挙での敗北を認め、ブッシュが大統領となることを承認した以上、問題を再び議会で蒸し返すのをいさぎよしとしなかったのであろうが、つい先日まで議場で発言している下院議員と同じことを喋っていたゴアが今度は壇上の議長席から同僚の発言を封じている光景は一場の喜劇である。いや、悲劇である。

ブッシュ大統領の戦争を熱烈に支持しているのは庶民である。激烈に反対しているのも庶民である。ライラ・リプスコムはムーアの故郷ミシガンのフリントで若者の職業指導に従事している白人女性である。夫は黒人である。フリントはグローバリゼーションの嵐の中で工場が次々と賃金の安い国に移転し、町の産業は空洞化し、荒廃し、失業率は実質50%といわれている。この街でライラは戦争に賛成し、若者たちに軍隊に入るように勧めていた。彼女の長男も軍隊に入った。ところが、長男はイラクで戦死した。ライラは戦争反対者になった。

ムーアはこうした事実を淡々と描いている。映像の持つ力は素晴らしい。知識人がもつ力は大きい。

私はムーアがさまざまな困難を乗り越えて、現職の大統領をかくも痛烈に批判し、非難し、罵倒する映画を作った勇気に心から敬意を表する。知識人の真骨頂を見る思いである。果たしてムーアのような日本人がどれくらい存在するのであろうか。

ライラの長男は死ぬ前に「みんながあいつ(ブッシュ)を再選しないように」と書き残している。アメリカ国民は今回の大統領選挙で死者のこの声にどのようにこたえるのであろうか。