過ちを改むるに憚ることなかれ ―香田証生さんの死によせて―

中西 治

香田証生さんがイラクで殺されました。香田さんは2003年3月にイラクで戦争が始まってから日本人としては5人目の犠牲者です。心から深い哀悼の意を表します。

なぜこういうことになったのでしょうか。それは小泉内閣が米国のイラク攻撃を率先して支持し、イラクに自衛隊を派遣したからです。イラクではこの戦争によって首都バクダットをはじめとして多くの町や村が破壊され、たくさんの人が殺されました。その数は1万人とも10万人ともいわれています。このことにイラクの人びとが怒り、戦争を始めた米国を恨み、自国の軍隊をイラクに派遣して米国を積極的に支持している国々を恨んでいるのです。

イラク戦争の直接の原因とされているのは2001年9月11日の出来事です。しかし、あの事件を実行したといわれる19人のうち15人はサウジアラビア人です。事件が起こった4日後の同年9月15日に米国があの事件の主犯と断定したのはサウジアラビアの富豪オサマ・ビン・ラディンでした。あの事件ともっとも深い関係にあったのはサウジアラビアです。イラクはあの事件ともオサマ・ビン・ラディンとも直接何の関係もありませんでした。

だから米国がことの真相を明らかにし、真犯人を罰したいというのであるならば、米国はまずサウジアラビア政府に対してオサマ・ビン・ラディンの引き渡しを要求すべきでした。オサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンにいて引き渡せないというのであるならば、米国はサウジアラビア政府と協議し、アフガニスタン政府からオサマ・ビン・ラディンを引き渡させるようにすべきでした。米国はサウジアラビアとはことのほか親しい関係にあるのですから。

ところが、米国はそのような手順を踏まないで、同年9月20日に直接アフガニスタンのタリバン政権に対してオサマ・ビン・ラディンの引き渡しを要求し、アフガニスタンがそれに応じないからといって、10月7日にアフガニスタンに対して攻撃を開始しました。タリバン政権は潰れましたが、オサマ・ビン・ラディンは捕まえられませんでした。

ついで米国は2003年3月にイラクに対して同国が大量破壊兵器を隠し持っていると称して攻撃を始めました。しかし、ここでもサダム・フセイン政権は打倒されましたが、大量破壊兵器は見つかりませんでした。

米国のアフガニスタンとイラクに対する戦争の目的は、米国の思うようにならない両国の政権を打倒し、両国を米国の支配下に置くということだったのです。

権力を預かるというのは人の命を預かることです。人の命を預かるというのは人に衣食住と安全を保障することです。それも、自分を支持する人だけではなく、自分を支持しない人も含めてすべての人の衣食住と安全を保障しなければなりません。

香田さんの場合、この時期にイラクを旅する危険を十分に理解していなかったという不注意はありますが、そのことは決して権力を預かるものが香田さんの安全を守らなくてもよいということを意味しません。いかなる場合も権力を預かるものは国民の安全を守る義務があります。

香田さんが自衛隊をイラクから引き揚げなければ、自分の首が斬られると訴えているとき、小泉さんがそれでもテロに屈しないと公然と言うのは、香田さんは殺されても良いと公言しているようなものです。小泉さんにとっては自国民の命よりもブッシュさんとの約束の方が大事なようです。

オサマ・ビン・ラディンは2004年10月29日に11月2日の米国の大統領選挙を前にして米国民への呼び掛けを発表し、2001年9月11日の「マンハッタン」の爆破事件が1982年のイスラエル軍によるレバノンの高層ビルの爆破事件に対する報復であることを明らかにしています。さらに彼は「あなたたちが私たちの安全を台なしにするのなら、私たちはあなたたちの安全を破壊する。あなたたちの安全はブッシュでも、ケリ−でも、アルカイダでもなく、あなたたち自身の手にある。」と述べて、第二の「マンハッタン」事件が起こる可能性を示唆しています。

第二の「マンハッタン」事件を起こさせてはなりません。テロに対して国家のテロである戦争で対処し、さらに、これに対してテロでこたえるといった悪循環を断ち切らなければなりません。そのためにはまず隗より始めよ(自分から始めよ)です。日本は自衛隊をイラクから即時に引き揚げるべきです。小泉さん、もうこれ以上、イラクの人びとを殺すのに手を貸してはなりませんし、日本人に犠牲者を出してはなりません。自衛隊員もあなたが守るべき日本国民です。過ちを改むるに憚ることなかれです。