ムハンマドの死 – ムハンマドの生涯とイスラームの成立 (7)

岩木 秀樹

ムハンマドは632年に大巡礼を行い、後にそれが別離の巡礼と呼ばれるようになった。この巡礼には10万人の信徒が参加したと言われている。この機会に、古来行われてきた巡礼の行を再確認するとともに、ムハンマドはそれを、多神教時代の名残ではなく、アブラハム以来の儀礼として再定義をした。このとき定められた巡礼の儀礼が、今日に至るまで実践されているのである。その後、632年6月8日にメディーナのモスクに隣接する自宅にて、ムハンマドは没した。およそ62年間の人生であった。(小杉 2006:142-143)

ムハンマドの前半生は、血筋のいい生粋のアラブ人、「アミーン(誠実者)」、家庭人、商業従事者であり、40歳の時に啓示を受けてからは大きな転換を遂げて、預言者、宗教指導者、統治者・政治指導者、立法官、仲裁者、司法官、外交官、戦略家・戦士として活躍した。預言者となった後でも、およそ13年のメッカ時代は、預言者、宗教指導者に過ぎなかったが、メディーナに移ってからのおよそ10年は、統治・行政、立法、司法、外交、軍事など、あらゆる分野で指導権を発揮したのである。(小杉 2011:147)

おわりに

イスラームの創唱者であるムハンマドは、570年頃ビザンツとペルシアの狭間であるアラビア半島に生まれた。40歳の頃、神より啓示を受け預言者としての人生が始まる。しかし預言者には何ら神性はなく、普通の人間と同じである。イスラームは新奇な宗教ではなく、ユダヤ教キリスト教に連なるアブラハムの一神教とされている。

従来の偶像崇拝、部族主義、貧富の格差やモラルの低下などを批判したムハンマドは、当然のことながらメッカの既存の勢力と摩擦を生んだ。対立が深刻になった頃、妻と伯父の死に直面し、精神的また政治的支柱を失った。そのような危機の時期に夜の旅と昇天の旅を経験し、イスラームが一神教の系譜に位置することを確認する。多くの宗教でも見られるが、危機の時期に重要な宗教的体験をしたのである。

622年にヒジュラを迎えた。このことは単にメッカから逃れたのではなく、メディーナの調停者として迎えられたのである。この年がイスラーム暦の元年になるということは、メディーナにおいてウンマを形成したことがどれほど重要であったのかが理解できよう。ムハンマドは預言者としての立場ばかりでなく、政治家・司令官・立法者等の立場も兼ね備えていくことになる。その後メッカとの戦いを経て、メッカを征服した。またいわゆるメディーナ憲章を作り、宗教共存の安全保障体制を確立した。

632年に、メッカへの大巡礼の後、ムハンマドは自宅で亡くなった。ムハンマドは多くの宗教の創唱者とは異なる点がある。第一に、彼は預言者ではあるが普通の人間であり、神格化されることはなかった。終生、家庭人、生活者であり、家庭を持ち子どもを育てるなど、出家や隠遁はしなかった。第二に、彼は単なる宗教者ではなく、商人、政治家、軍人等の多くの側面を持つ人物であった。これらの点がイスラームの特徴に影響を与えることになるのである。