メディーナ憲章 – ムハンマドの生涯とイスラームの成立 (6)

岩木 秀樹

メディーナ時代の早く、バドルの戦いの少し前に、キブラの方向(礼拝の方角)がエルサレムからメッカに変わった。メディーナから見るとエルサレムは北北西にあたり、メッカはほぼ真南にあたるから、正反対の方角に変わったことになる。このことはムハンマドを預言者とは認めないユダヤ教徒に見切りをつけたとも捉えられる。エルサレムへの礼拝がユダヤ教徒の融和策としても機能していたとすれば、この時点でその役割は終わった。メッカをアラー信仰の中心地にして、メディーナをイスラーム共同体政治の中心地にしたのである。(小杉a 2002:118-133)

この聖地変更により、一神教イスラームとアラブの伝統としてのメッカの聖地性が結合した。この後、ユダヤ教徒との対立を通じてイスラームの理論武装化が行われた。イスラームはモーセのユダヤ教よりも、またイエスのキリスト教よりも遙かに古いアブラハムの純粋な一神教の復活とされた。(佐藤他 2002:137)

ヒジュラからほどなくして、メディーナの指導権を握ったムハンマドが、メッカから移住した弟子たち、メディーナでイスラームに加わった者たち、メディーナ在住のユダヤ教徒たちと結んだ文書はいわゆるメディーナ憲章と呼ばれている。(小杉 2011:113)

メディーナ憲章は、ムハンマドに司法、行政、外交の最高決定権を委ね、対外的には団結して外敵にあたる集団安全保障、対内的には無差別復讐システムの廃止、犯罪者の引き渡しと罰則の規定、信教の自由、正義の原則、財産権の保証、戦費負担の義務などを定めたものであった。当時のアラビア半島において国家はなかったので、メディーナ憲章は、国家を創設する社会契約とも言えよう。(中田 2001:193)

この憲章を合意の基礎としてメディーナに成立するウンマは全住民を組織するが、成員の基本的区分は宗教共同体を前提とする。各共同体は、統治権に服さなければならないが、そうである限りは安全が保障され、信教の自由も保障される。対外関係は統一され、成員は防衛の義務を負う。全体を規制するものはムハンマドの権威であり、その権威は承認されなければならないのである。(小杉 2011:135-136)

この憲章こそ、しばしば抗争を生む部族主義の紐帯に代えて、信仰を基礎とする共同体を樹立し、宗教共存による安全保障の原理を打ち立てるものであった。ここにウンマの理念と原理の祖型が作られたのである。メディーナ期の10年間は、その意味ではイスラーム社会の制度化、組織化の歴史であった。(小杉 1994:40)