預言者ムハンマド – ムハンマドの生涯とイスラームの成立 (3)

岩木 秀樹

610年のラマダーン月(第9の月)に、いつものようにヒラー山の洞窟で、瞑想後に仮眠をしていると、突然大音声によって呼び覚まされた。それがアラーによる大天使ガブリエル(ジブリール)を通じてムハンマドにくだされた最初の啓示である。不意の訪問者は、突然アラビア語で「読め!」と叫んだ。驚いたムハンマドはとっさに「私は読む者ではありません」と答えた。当時のアラビア半島では珍しくないのであるが、彼も読み書きが出来なかったのである。この問答が三度繰り返された後、アラーは読むべき内容を以下のように言った。

読め!「凝血から人間を創造し給うた汝の主の御名において」
読め!「汝の主はペンによって教え給うた最も尊いお方」
「人間に未知のことを教え給うたお方」であると
(『コーラン』第96章1-5節)

彼はこれが神の言葉であることを信じることが出来なかった。恐れおののく彼を励まし、断続的にくだされる言葉は神の啓示に他ならないと信じたのは妻ハディージャであった。彼女の励ましと理解がなければ、ムハンマドが神の使徒として自覚することはなかったかもしれない。この意味で、ハディージャはイスラームに帰依した最初の人物として極めて重要な役割を果たしたと言えよう。(佐藤 1997:49)

身内やごく近しい人々に自分の思うところや体験を説いていたムハンマドは、614年頃から、メッカの辻々に立って大衆伝導を始めた。ムハンマドが最初に説いたのは、メッカ社会における貧富の格差の増大による富裕な商人たちの拝金主義、享楽主義、利己主義、そして人々のモラルの退廃への警告であった。(佐藤 2002:134)したがってメッカの人々、特に富裕な商人たちはこのような布教に大きく反対することになった。ムハンマドの運動が、彼らの政治経済的利害や部族的伝統にまで抵触するようになったのである。メッカの人々は次第に遊牧の生活をやめ、商業に従事するようになって、血縁的つながりよりも個人の経済的利害を優先させ、伝統的宗教との関係はかなり形骸化してきた。とは言うものの、新たな形で伝統的宗教と経済活動は密接に結びついてもいた。したがって、イスラームの徹底した個人主義が理解できなかっただけでなく、何よりもムハンマドの運動が彼らの政治経済的利害を脅かすと考えたのである。(中村 1998:37)

またクライシュ族でさえ、容易にムハンマドに従わなかった。メッカ期の13年の間にイスラームに入信した人は数百人にすぎない。当時にメッカの人口は1万人程度と推測されるから、クライシュ族の人々はほとんどがイスラームに反対し続けたのである。その反対理由は、宗教的理由、社会・経済的理由、政治的理由に分けられる。宗教的には、クライシュ族をはじめとする当時のアラビア半島の大半の部族は多数の偶像を神として祀る多神教徒であった。唯一の神アラーのみを認めよというムハンマドの主張は、父祖伝来の宗教に反するものであった。また唯一神アラーの下で人間は平等であると説き、部族的出自と富裕の価値を否定したので、社会・経済的問題へと発展した。さらに政治的理由として、皆がイスラームを認めれば、ムハンマドの指導権が確立するので、次世代の指導者になろうとする者は対抗心を燃やしたのである。(小杉 2009:15-17)