ムハンマドの誕生と結婚 – ムハンマドの生涯とイスラームの成立 (2)

岩木 秀樹

メッカは、イスラーム以前からの聖地であり、アラビア半島を縦断する隊商交易の中継基地として、約1万人が住んでいた。シリアやエジプトとの行き来があり、ユダヤ教やキリスト教も伝わっていたが、多くはカーバの自然神を信じていた。(三浦編 2011:28)

ムハンマド(1)はメッカを支配するクライシュ族のなかのハーシム家に、西暦570年頃に生まれた。ムハンマドの父アブドゥッラーはムハンマドが生まれる前に亡くなっていた。ハーシム家の長であった祖父のアブドゥルムッタリブの保護に頼って、母親のアーミナによって育てられたが、その母もムハンマドが六歳になった頃に亡くなり、その二年後には保護者の祖父も亡くなってしまった。その後ハーシム家の家長となった父方の伯父のアブー・ターリブによってムハンマドは育てられた。ちなみにイスラーム社会では現在でも肉親が亡くなった場合、近親の者が扶養することはよくあることである。イスラーム教徒にとって、孤児や貧者、女性、旅人は保護すべき対象であり、それが当然の義務とされている。

伯父アブー・ターリブ率いるハーシム家は貧しく、前代の勢威は失われていた。ムハンマドは血筋から言えば高貴な家柄であるが、勢力の小さな部族の一員として育った。少年時代には牧畜の仕事もしており、若くして伯父の隊商についてシリア方面へ出かけたこともある。誠実な者(アミーン)と呼ばれており、実直な青年であったようである。(小杉 2006:52-53)

ムハンマドが25歳になったとき、メッカの富裕な未亡人ハディージャは、その正直な人柄を見込んで彼にシリアへの隊商を任せた。ムハンマドの誠実さにうたれたハディージャは、人を介して結婚を申し込み、その年から結婚生活が始まった。ムハンマドは25歳、ハディージャは40歳で再々婚であったといわれている。ムハンマドが年上の女性と結婚したため、イスラームには姉さん女房を嫌う習慣はなく、むしろ好ましいと論じる人もいる。また再婚についても奨励されている。この点はキリスト教、特にカトリックとはかなり異なっている。(小杉 1994:26)二人の間には三男四女が生まれたが、三人の男の子はいずれも幼児のうちに夭折した。

イスラームにおける結婚について、四人妻の規定があるが、寡婦と孤児に対する対策として定められたものである。イスラーム以前のアラビア半島は、ほとんど制限のない多妻制度が行われていたから、妻の人数を最大4人までに制限するという意味もあった。男女比を考えれば、いかなる社会でも一夫一婦が普通であり、イスラーム社会でもその例外ではない。なお四人妻の制度は、ムハンマドは例外であったが、彼の妻となった者はアーイシャを除くと夫と死別または離別した女性ばかりであり、かなり政治的理由による結婚もあったのである。(小杉 2009:139-141)

結婚によって生活の安定をえたムハンマドはやがて近くのヒラー山の洞窟に毎年一定期間籠もるようになる。メッカ社会の疲弊、貧富の格差、精神の荒廃、また父母や息子の死による人生のはかなさについて瞑想していたのかもしれない。いずれにしても彼は通常の家庭生活を送っていたわけで、その点がシャカやキリストとは大きく異なっている。啓示が始まったのは610年ムハンマド40歳の時である。儒教の伝統でも40歳を不惑として特別の区切りをするが、洋の東西を問わず40歳には何か意味があるのかもしれない。(小杉 1994:26-27)

(1) なおムハンマドの生涯については、(小杉a 2002)(佐藤 1997)(佐藤編 2002)(中村 1998)らを参照。