むすび : 2020年のロシアとロシア・中国の現代化

中西 治

2020年のロシアは実際にはどのようになるのであろうか。それは大きくプーチンにかかっている。彼が2012年の選挙で大統領に当選し、2018年まで大統領職を務めるからである。

プーチンは1952年10月7日の生まれ、1999年8月9日に首相代行となり、同月16日に正式の首相となったときはまだ46歳、2000年3月26日に大統領に当選したときは47歳、ずいぶん若い大統領であると思ったが、その後、大統領を2期、8年間、首相を1期、4年間務め、2012年3月の選挙で3期目の大統領に返り咲いたときは59歳、いまでは間もなく60歳を迎える堂々たる大統領である。今回から大統領の任期は6年間となり、つぎの大統領選挙は2018年3月、65歳、再選は可能であるから、71歳まで大統領を続けることができる。しかし、今回の任期が彼にとっては正念場であろう。

プーチンも、メドヴェージェフも『2020年のロシア:未来のためのシナリオ』で指摘されたロシアの欠陥をよく認識している。これは先に紹介したプーチンの2008年2月8日の演説「2020年までのロシアの発展戦略」からも、メドヴェージェフの2008年2月15日の演説「2020年のロシア国の主要発展課題」からも読み取ることができる。さらに、プーチンは2012年6月28日の「2013―2015年の予算教書」で経済の原油依存やインフラストラクチュア・教育・科学技術の立ち後れの克服などを当面の重要課題としている。問題はこれをどのような方法で実現するのかである。

ロシアは帝政時代の19世紀後半のヴィッテ/ストルイピン以来、英国・フランスなどの西ヨーロッパの先進諸国より遅れて現代化の道に入った。現代化には工業化と民主化という二つの側面がある。この両者が車の両輪のごとく並行して進めば、現代化は比較的安定しておこなわれるが、多くの場合、この両者は並行しては進まず、工業化が先行する。

工業化には用地と建物、機械、原料、人材が必要である。それには多額の資金が必要である。先進国はそれらを大きく植民地からの収奪に求めることができたが、後進国はそれに全面的に依存できない。しかも、工業化には多年の歳月が必要である。後進国はそれを近隣諸国の植民地化と収奪とともに、自国民、とくに、農民からの収奪に求めざるを得なかった。当然、国の内外からも反抗が起こる。それを力で抑えつける。19世紀から20世紀にかけてのロシアの帝政とそれを引き継いだソヴェト政権、および、日本の明治維新以降の体制はそのような体制であった。

日本は明治維新以後にアイヌ人が先住民として住んでいた蝦夷地を北海道と改称し、サハリンとクリルをロシアと分け合って、クリルを日本領とし、千島とした。琉球を処分し、沖縄とした。さらに、日清戦争で清国から台湾をとり、日露戦争でサハリン(樺太)南部を獲得し、関東州を租借した。日本は朝鮮半島と中国東北に進出する足場を得た。その後、朝鮮を併合し、「満州国」をつくった。現在の千島・竹島・尖閣などの領土問題の淵源はここにある。

もともとこれらの土地には誰も住んでいなかった。それは誰のものでもなく、自然を含めてすべてのものの土地であった。それを人間の幸せのために平和的にどのように使うのか。

私は領土問題が起こっているところは、南極や宇宙空間と同じように、誰かの土地とか、いずれかの国の土地としないで、そこに住んでいる人や住みたいと思っている人、そこを利用している人や利用したいと思っている人などが共同で管理し、共同で利用すれば良いと考えている。地下資源の利用もその人々が中心になって考えれば良い。このような問題を考えるのがユニバーサル・ヒストリーである。

日本とロシアはともに近隣諸国に領土を拡大し、国内外の不満を抑圧した。その結果が、1945年、第二次大戦におけるソヴェトの勝利と日本の敗北であった。

ソヴェトの体制も、日本の体制も後進国の「現代化」のための体制であった。第二次大戦が終わったとき、その命脈はともに尽きていた。日本は敗戦によって天皇主権の体制から国民主権の体制に変わり、戦後復興に成功し、高度成長した。ソヴェトは勝利したが故に、体制の転換が根本的にできず、1991年12月に崩壊した。その後、ロシアは試行錯誤を繰り返しながら今日に至っている。

米国の現代化も同様である。それはヨーロッパをはじめとする世界各地からの多数の移民の努力とともに、先住民と近隣諸国からの土地の収奪と大量虐殺、アフリカからの多数の黒人奴隷の拉致と酷使など大きな犠牲をともなっておこなわれている。

中国は19世紀後半の清朝末以後ヨーロッパ諸国と日本の植民地・半植民地となり、収奪の対象となった。中国がこのくびきから脱したのは1949年10月1日に中華人民共和国が成立してからである。それが本格的に現代化への道を進むようになったのは、ほんの30年ほど前の1978年12月の改革開放政策への転換以降である。その発展はめざましい。それは数千年にわたる中国文化の成果である。

今日、日本は全世界的な経済的大不況のなかで前途を模索している。現在の日本の政治的混迷はその反映である。

ロシアは2000年のプーチン大統領の登場とともに世界的な大国として蘇りつつある。問題は今後、ロシアのような領土も広く、人口も多い多民族国家をどのように統治し、発展させ、どのような国にするのかである。同じことは中国についても言える。

ロシアにしても、中国にしても、放っておけば、ばらばらな国になるであろう。一つの国としてまとまり、全ロシア、全中国で工業化を進めるとなると、相当強く中央から指導・推進をしないと、それは不可能である。「中央集権的・権威主義的」にならざるを得ない。

しかし、一定程度、工業化が進むと、社会が多様化する。私はソヴェト体制が崩壊した背景には、ソヴェト体制下での工業化の進展によって「ソヴェト社会が物言わぬ農民の社会から物言う市民の社会になった」ことがあると考えている。同じことが今後のロシアについても、中国についても言えると思っている。「工業化の発展は人間を変え、社会を変え、国家体制を変える」と。

『2020年のロシア:未来のためのシナリオ』は政治的カレンダーにもとづく上記の三つのシナリオの他に、つぎのような十のシナリオをあげている。

①世界的危機の第二の波と原料価格の下落。②プーチンなきロシア。③近隣諸国の不安定化。④軟い崩壊。⑤エリートの分裂。⑥モスクワの不安定化。⑦第三次カフカス戦争。⑧民族主義者のクーデター。⑨ヨーロッパ選択。⑩ブロガー革命。

私がこのなかでもっとも注目しているのは第三次カフカス戦争とそれに関連するロシア内外の不安定化である。2014年にソチで開催される冬季オリンピック大会を契機として大規模な社会的爆発が起こる危険があるという。そして、もし、これが2014年までに起こらなければ、オリンピック準備でふくれあがった連邦補助金の削減が不安定要素となり、オリンピック後に現在のだらだらと続いている国内戦争が反植民地戦争に転化する可能性があるともいわれている。そうなると、ロシアは大変である。発展の軌道が変化する。

さらに、2008年8月26日に当時の大統領メドヴェージェフは南オセチアとアブハジアのグルジアからの「独立」を承認した。グルジアは国の西部にあるアブハジアと中央部にある南オセチアを切り取られた。いずれもロシア連邦と国境を接する地域である。グルジアはこれらの独立を認めていない。しかし、ロシアのこの行為は両刃の刃である。将来、この南オセチアがロシア連邦に属する北オセチアと合併し、「オセチア共和国」となった場合、ロシアは承認せざるをえないであろう。同じことはチェチェンについても言える。となると、ロシアの南オセチアとアブハジアの「独立承認」は、この地域の問題の解決に独立という新しい道を示した「英断」とも言えるであろう。

カフカスの国内戦争が反植民地戦争に転化し、これがザカフカス(大カフカス山脈の南部)に飛び火し、ロシアとグルジアとの本格的な戦争に発展すれば、これまた、ロシアにとってはいっそう大変なことである。

カフカスはロシアの指導者にとってアキレス腱である。レーニンもカフカス問題、とくに、グルジア問題には大変気を遣っていた。ロシア人は長い歴史を持ち、知的水準の高いグルジア人に一目おいていた。

たとえば、1922年12月30日にソヴェト同盟が発足したとき国家元首である中央執行委員会議長にロシア人のカリーニンが就任したが、実質的な同委員会の責任者である書記にはグルジア人のエヌキッゼがなった。これはソヴェト内に多数存在するロシア人以外の諸民族をグルジア人が代表することを意味した。エヌキッゼは1935年5月3日までその職にあり、その後、ロシア人がその職を務めたが、第二次大戦後の1957年2月12日から1989年5月25日まで30年間以上、グルジア人のゲオルガッゼとメンテシャシュヴィリが二代にわたり、名称の変わった最高会議幹部会書記の職を占めた。メンテシャシュヴィリがその職を辞したのは最高会議幹部会が廃止され、代わって、国家元首職となった最高会議議長にゴルバチョフがなったからである。つまり、グルジア人はソヴェト同盟の発足時と解体直前時に国家元首に次ぐ地位に就いていたのである。

実は1922年4月10日にロシア共産党中央委員会書記長に就任して以来1953年3月5日に死去するまで30年間余、ソヴェトの最高指導者であったスターリンはグルジア人であった。私はこのことが当初、良く理解できなかったが、のちにロシアにとってのグルジアのもつ重要性を知って、スターリンの政治家としての資質もさることながら、彼がロシア人ではなく、グルジア人であったからこそ、ソヴェトがまとまり、その最高指導者の地位を死ぬまで維持できたのではないかと考えるようになった。

ソヴェト時代最後の国勢調査となった1989年の資料によると、この年のソヴェトの総人口は2億8千万人ほど、そのうちロシア人は1億4千万人ほど、人口の半分ほどは非ロシア人であった。この非ロシア人を味方にしなければ、ソヴェト同盟は成り立たなかったのである。

ソヴェト同盟が解体し、ロシア連邦だけになると、2002年の総人口は1億4500万人ほどに減り、そのうちロシア人は1億1500万人ほど、非ロシア人は3千万人ほどとなった。このうち一民族で100万人を超えるのはタタール人555万人、ウクライナ人294万人、バシキール人167万人、チュバシ人163万人、チェチェン人136万人、アルメニヤ人113万人などである。アゼルバイジャン人は62万人、イングーシ人は41万人、グルジア人は19万人ほどである。ロシア人はこれらロシア連邦内の多数の非ロシア人だけでなく、近隣諸国の非ロシア人とも仲良くしなければならない。

もし、第三次カフカス戦争が起こり、これが近隣諸国に拡大すればどのようなことになるのか。カフカス問題、グルジア問題はプーチンにとって思わぬ落とし穴になる可能性がある。

現代化は人類共通の歴史的大事業であり、それはさまざまな困難をともなう。その解決の仕方は人により、社会により、国家により、地球社会の各地域でさまざまである。どれが良いというのではない。それはそれぞれの人が、それぞれの社会が、それぞれの国家が試行錯誤のなかで決めることである。私たちはそれぞれの人、それぞれの社会、それぞれの国家の試みを歴史的な長い視野を持って温かい目で見る必要がある。

人間はそれぞれの人間の大きさに合わせて歴史をつくる。それ以上のものはつくれない。社会も、国も、地球社会もそうである。人間を大きくしなければならない。