天動説・地動説〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

3.天動説から地動説、万有引力、電磁気力、相対論への物理学の発展

天動説

古代にも地球が太陽の周りを回っていると考える「地動説」はありましたが、聖書が普及し、キリスト教が広がるにつれて、神が大地をつくり、光をつくり、大空をつくり、海をつくり、地に草木を生えさせ、水の中と地の上に生きものをつくり、最後に神にかたどって人をつくったという考えが多くの人々の心をとらえるようになりました。こうして神がつくった地球が宇宙の中心を占め、地球の周りを天が回るという「天動説」が支配的となりました。

地動説

このような時代に古代人の思想を復活して太陽中心の天文体系を樹立し、近代的地動説を提唱したのは、ポーランドの天文学者コペルニクス (1473-1543年) でした。彼は僧職にあり、その思想は多分に中世的特色を持っていましたが、地球を宇宙の中心から太陽の周りを回る惑星の一つに降格させました。「コペルニクス的転回」です。彼は、以後、ニュートンまでの1世紀半にわたる漸次的な地動説形成運動の創始者となりました。

悲劇的であったのはイタリアの哲学者ブルーノ (1548-1600年) でした。彼はコペルニクスの地動説に同調したために捕らえられ、1593年にローマの異端審問所に移されました。7年間の獄舎生活の後もその主張を変えなかったために焚刑に処せられました。

ドイツの天文学者ケプラー (1571-1630年) は地動説に親しみ、遊星の長円軌道説を構想し、「ケプラーの三法則」を樹立しました。これは天体の円軌道への伝統的信念からの解放であり、宇宙の調和に関する根本概念の転換でした。しかし、彼は神秘思想も濃く、中世的世界観から近代的世界観への過渡的存在でした。

地動説を確立する上で重要な役割を果たしたのはイタリアの科学者ガリレイ (1564-1642年) です。彼はアリストテレス (前384-322年) を批判し、コペルニクスの地動説を公然と擁護しました。

ガリレイは1609年から自作の望遠鏡で木星の衛星や金星の公転、地球の自転など地動説に有利な事実を発見し、発表しました。このために異端とされましたが、彼は当初、自説を曲げませんでした。しかし、法王によって召還・投獄され、ついに自説の放棄を誓わされました。その後も監視下で天体観測を続けましたが、1637年に失明しました。

2009年が「世界天文年」とされたのはガリレイが初めて空に望遠鏡を向けた400周年を記念したものでした。