クリスチャン『時間の地図』注解〈5〉 人類進化研究の日進月歩

のぶおパレットつじむら

「宙(そら)読む月日」第13回

クリスチャンの分類の元ネタ
クリスチャンさんが『時間の地図』で採った人間の分類の元となっているのは、初版・第2版ともに、英国のサイエンス・ライター(科学作家)ロジャー・ルーウィン Roger LEWIN が1999年に出した『図解入門 人類進化』第4版(邦訳『ここまでわかった人類の起源と進化』)です。(*30) その『図解入門 人類進化』第4版の分類の元となっているのは、米国の分子進化学者・分子系統学者のモリス・グッドマン Morris GOODMAN が1996年に『分子系統学と進化』誌に発表した論文です。(*31)

ルーウィンさんはグッドマンさんの分類を、クリスチャンさんはルーウィンさんの分類を参考にし、それぞれ元の分類をアレンジ(改編)したものを使っています。(*32) 3者の異同は大きく2点にまとめられます。

第1は人類と類人猿の関係です。グッドマンさんとルーウィンさんはともに、人類と類人猿は別物であると考えており、ヒト科 Hominidae を「人類と“全て”の類人猿」を指すものとして使っています。反対に、クリスチャンさんは人類、チンパンジー、ゴリラをまとめて「大型類人猿」great apes としており(*33)、そうすると人類も類人猿に含まれる、ということになります。彼はヒト上科 Hominoidea を「人類と類人猿」を指すものとしていますが、正確には「人類と“その他”の類人猿」あるいは「人類を含む“全て”の類人猿」と言うべきでしょう。

第2は「人類」に当たるグループを何と分類するかです。グッドマンさんの分類では、属の分類まで下ってようやく「人類」に当たるグループが現れます。対してルーウィンさんとクリスチャンさんの分類では、亜科の段階で「人類」に当たるグループが登場します。

分類というのは論者によって異なり、賞味期限があり、どの分類項目が「人類」に当たるかは固定されたものでないことがわかるでしょう。

『時間の地図』第2版は初版の分類のままなので、第2版が出版されたのは2011年でも、内容は初版が出た2004年時点のものになります。ということは、クリスチャンさんの分類はすでに古くなっていますが、「人類はチンパンジーとは違う、人間は人類の他の種とは違う」という肝心の点は専門家の最近の分類を見ても変わりません。大事なのは大要をつかむことです。初めに骨格をつかめば、そこから肉づけも検証も修正もできるからです。

最近の成果
なお人類進化史の最近の成果については、専門家の手によるものでは、
写真と図版が豊富でおすすめの Chris Stringer / Peter Andrews, The Complete World of Human Evolution, revised edition (Thames & Hudson, 2012) = クリス・ストリンガー/ピーター・アンドリュース(馬場悠男/道方しのぶ訳)『改訂普及版 人類進化大全:進化の実像と発掘・分析のすべて』(悠書館、2012年)(旧版の訳書も出ていますのでご注意を);
米国の大学の人類学部で教科書として使われている Robert Boyd / Joan B. Silk, How Humans Evolved, 5th edition (W. W. Norton, 2008) = ロバート・ボイド/ジョーン・B・シルク(松本晶子/小田亮監訳)『ヒトはどのように進化してきたか』(ミネルヴァ書房、2011年)(原著の 6th editionが2011年に出たが、未邦訳);
溝口優司『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』(ソフトバンク クリエイティブ、2011年)などの解説本があります。

初めの2冊は値が張り、とくに『ヒトはどのように進化してきたのか』は分厚いので、まずは新書で薄い『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』から始めるのも手かもしれません。

サイエンス・ライターによるものでは、河合信和『ヒトの進化 七〇〇万年史』(筑摩書房、2010年)が、2010年の発見までを体系的に紹介してくれる良書です。『アフリカで誕生した人類が日本人になるまで』でも、参考文献として挙げられています。

専門家ほど「教科書」が書けない
サイエンティスト(科学者)は研究のプロ、サイエンス・ライター(科学作家)はその成果を説明するプロです。自分で何かをやれる能力と、それを人にもわかるように話せる能力は別です。それに、科学作家は研究の面ではアマといっても、プロの成果を継続して追いかけ、勉強していなければ、正確な理解も解説もできないものです。

現代は科学が猛烈に進んで、それに着いて行けない人びとを大量に生み出す一方、科学者が科学の成果を市民にわかりやすく説いて聞かすとも限らないので、その架け橋となる科学作家の存在が重要となるのです。(*34)

先ほどあげたルーウィンの著作の訳者・保志宏 HOSHI Hiroshi さんはこう述懐しています。(*35)

人類進化学にとってのこの10年〔1989-1999年のこと:辻村〕は、まことにシュトゥルム・ウント・ドランク(激動)の時代であった。ようやくおおかたの一致を見始めていた共通理解の多くが、もろくも崩れ去っていったのである。かかる事態にあっては専門家であるほど“教科書”が書けない。たとえ書いたとしても、書物として出版されるまでの間に何が起こるか解らない。次第によっては、書店に並んだとたんに古くなってしまうことも覚悟せねばならない。これはつらいことである。

本書の原著者は自らを“spectator”(傍観者)と称しているように、専門家ではない。それ故にかえってジャーナリストのような立場で人類進化学の現状を書くことができたのである。

な、なるほど。専門家が本を出すのをためらうほど、日進月歩なのですね。現に、わたしが10代に習ったおぼえのある「猿人→原人→旧人→新人」というハシゴ状の単純な進化の図式も、今では過去の遺物とのことです。(*36)

この図式は、今では全く成立しない。猿人のいた時代に原人に当たるホモ・エレクトスが早くも現れていたし、旧人の代表とされたネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)の時代にアジアにはなおホモ・エレクトスが生き残っていて、さらにアフリカではネアンデルタール人よりも早くに早期ホモ・サピエンスが活動しており、つい1万数千年前までインドネシアのフローレス島で猿人の類型かもしれない種が生存していたことが、現在では明白となっているからだ。

自分の得た知識が、知らぬ間にどんどん賞味期限切れになってゆく。あなおそろしや。

とはいえ、これは初心者にとっては、過去の膨大な著作群に惑わされず、ストレートに最新の成果に親しんでいけばよいということで、気楽な面があります。本を買うにしろ、ネットで検索するにしろ、できるだけ最近の成果にふれることが先決でしょう。翻訳書の場合は今年出たものでも、原書は何年か前のものということが珍しくありません。原書がいつ出たのかも併せてチェックする必要があります。

一応の注解としては、これで十分でしょう。今回は終わってみれば、天地人についてのお話でした。 (おしまい)


(*30) Christian, Maps of Time, 1st & 2nd editions, p. 522, note 29. Roger Lewin, Human Evolution: An Illustrated Introduction, 4th edition (Oxford: Blackwell Science, 1999) = R. ルーウィン(保志宏訳)『ここまでわかった人類の起源と進化』(てらぺいあ、2002年)。同出版社(てらぺいあ)は、原著の 2nd edition についても『人類の起源と進化』という(「ここまでわかった」というのが無い)タイトルで訳書を出版している。また原著の 5th edition が2004年に出ているが、これについては未邦訳である。

(*31) Lewin, Human Evolution, 4th ed., pp. 85-86 = ルーウィン『ここまでわかった人類の起源と進化』 91-93ページ。 Morris Goodman, “A Personal Account of the Origins of a New Paradigm” Molecular Phylogenetics and Evolution, 5 (1), 1996.

(*32) ここで本文では省いたグッドマン、ルーウィン、クリスチャンの分類の違いを示す。ことにルーウィンが『図解入門 人類進化』第4版で採った分類については、該当箇所(一つ前の注を参照)に重大な誤訳が認められるので、ここで訂正しておく。
     グッドマンが1996年に採った分類では、ヒト科 Hominidae は「人類と全ての類人猿」を指し、それがテナガザル亜科 Hylobatinae とヒト亜科 Homininae に分かれ、ヒト亜科はオランウータン族 Pongini とヒト族 Hominini に分かれ、ヒト族はゴリラ亜族 Gorillina とヒト亜族 Hominina に分かれ、ヒト亜族がチンパンジー属 Pan とヒト属 Homo に分かれる。「人類」に当たるグループは、属まで下ってようやく現れる。
     ルーウィンが1999年に採った分類では、ヒト科 Hominidae はグッドマンと同じく「人類と全ての類人猿」を指し、それがテナガザル亜科 Hylobatinae 、ゴリラ亜科 Gorillanae 、チンパンジー亜科 Paninae 、ヒト亜科 Homininae の4つに分かれる。「人類」に当たるグループは、亜科まで下った段階で登場する。
     クリスチャンが『時間の地図』で採った分類では、ヒト上科 Hominoidea が「人類を含む全ての類人猿」を指し、それはテナガザル科 Hylobatidae 、チンパンジー科 Pongidae 、ヒト科 Hominidae の3つに分かれ、ヒト科はゴリラとチンパンジーを含むゴリラ亜科 Gorillinae とヒト亜科 Homininae に分かれる(Christian, Maps of Time, 1st & 2nd eds., p. 127)。「人類」に当たるグループは、ルーウィンと同じく亜科に至って分岐する。

(*33) Christian, Maps of Time, 1st & 2nd eds., pp. 121, 154.

(*34) ビッグ・ヒストリアンたちも、各々が元々専門としていた分野ではプロの研究者だが、その他の分野ではサイエンス・ライターと同じようなことをしている、と言えるかもしれない。

(*35) 保志宏「訳者あとがき」ルーウィン『ここまでわかった人類の起源と進化』233ページ。

(*36) 河合信和『ヒトの進化 七〇〇万年史』(筑摩書房、2010年)10ページ。書名がややまぎらわしいが、著者が本書で「ヒト」としているのはホモ・サピエンスのみであり、したがって、700万年の歴史を持つとされるのはヒトではなく「ヒト族」(著者の言うホミニン hominin の和名)である。
     クリスチャンの使う語ではホミナイン hominine がこれに当たる。ただし、彼のDVD講義を見ると(『時間の地図』と同じく「人類」に相当する区分をhominineと表記した上で)オーストラリア式なのかホミニンと発音している。しかし hominine はホミナインと発音して、その下位のホミニン hominin(クリスチャンの分類には無い)と区別するのが通例のようである。