真珠湾攻撃・日米戦争開始70周年にあたって

中西 治

1941(昭和16)年12月8日、70年前の今日、私は当時、国民学校3年生、8歳であった。

早朝、「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英両国と戦闘状態に入れり。」というラジオ放送で真珠湾攻撃・日米戦争の開始を知った。大変なことが起こったと思ったが、興奮はしなかった。案外冷めていた。

戦争は私が生まれる前の年、1931年9月18日の「満州事変」によってすでに始まっていた。1937年7月7日の「支那事変」によって戦争は中国大陸全土に広がっていた。それがさらにハワイ、香港、シンガポールにまで拡大した。子供心にこのように小さな国の日本があのように大きな国の中国や米国と戦争をして勝てるとは思わなかった。

「清水の舞台から飛び降りた。」それは自死行為であった。

国民学校の先生は教壇に立って、黒板の真ん中に世界地図を張り、「これを見よ。日本は世界の中心にある。空に一つの太陽しかないごとく、世界を支配する国は一つしかない。それは日本である。」と説いていた。あまり説得力はなかった。

1945年に戦争は終わり、日米間では講和条約が結ばれ、平和は回復したが、米国軍はまだ日本にいる。沖縄に行ってみよ。沖縄に米軍基地があるのではなく、米軍基地の中に沖縄がある感じである。「沖縄が返らない限り、戦後は終わらない。」といわれたが、「沖縄から米軍基地がなくならない限り、戦後は終わらない。」戦争はまだ完全に終わっていない。

私はいま「2045年に世界はどうなるのか」を考えている。第二次大戦終結100周年の年である。日本にある米軍基地の問題もこの年までには解決しなければならない。

私たちは2011年12月18日に中国から客人を横浜に迎えて「真に友好的な日中関係の未来をめざして」語り合う。こうした人民レベルの真の友好が世界の平和を守る保証である。
私はこれからもそのために努力する。

2011年12月8日午前6時
横浜にて