むすび : 「双頭」のロシア -2008年〜2011年- : 現代ロシア社会論 (2)

中西 治

現在のロシアはソヴェト時代から次の時代に移る過渡期

一国の社会は政治体制が変わっても、一挙にがらりとは変わらない。社会の前面に登場する人物も、主役は変わっても、他の登場人物はあまり変わらない。

たとえば、日本である。明治維新によって徳川幕藩体制が崩壊し、主役は徳川将軍家から天皇家に変わったが、他の登場人物はさして変わらず、そこへ新しい人間が出てくる。登場人物がそう変わらないのは、体制が変わっても、旧体制時代の人が全員いなくなるわけではないからである。

同じことは第二次大戦の敗戦前後の日本についても言える。私は1960年代末からよく外国に出かけたが、あるとき、外国でいまの日本の天皇は誰だと聞かれたことがある。私が「ヒロヒト」だと答えると、その人は怪訝な顔をして、「あのヒロヒトか」と尋ねた。私が「そうだ」というと、その人はびっくりして「日本は何という国だ」と言って驚いていた。その人が驚いたのも無理はない。あの戦争を引き起こしたヒトラーやムッソリーニはとっくの昔にいなくなっているのに、日本では戦後30年以上経っても、依然としてあの人は健在で、その地位にいたからである。

日本では1867年の大政奉還と王政復古以来、1868年の明治維新、1889年の大日本帝国憲法の発布、1890年の第1回帝国議会召集、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第一次大戦、1931年の柳條湖事件(満州事変)、1937年の廬溝橋事件(支那事変)、1941年の対米英戦争(大東亜戦争)、1945年の第二次大戦での敗北、1946年の日本国憲法の公布を経て今日に至っている。

第二次大戦後65年、そろそろ戦前生まれの人々が歴史の彼方に去り、社会の後景に引き下がるときである。

ロシアでは1861年の農奴解放以来、1905年の第一次革命、1906年の国家基本法と第一国会、1914年の第一次大戦、1917年の第二次革命(2月革命と10月革命)とソヴェト政権発足、1918年のソヴェト憲法の公布、1822年のソヴェト同盟の結成、1924年の憲法公布、1936年の新憲法(スターリン憲法)制定、1941年の独ソ戦争勃発、1945年の第二次大戦での勝利、1953年のスターリンの死、1877年の新憲法(ブレジネフ憲法)制定、1985年のゴルバチョフ書記長登場と1990年の大統領就任、1991年のソヴェト同盟解体を経て今日に至っている。

ソヴェト同盟解体からまだわずかに20年、プーチンやメドヴェージェフのようなソヴェト時代に生まれた人が活躍しても不思議はない。それはまだ当分続くであろう。現在のロシアはソヴェト時代から次の時代に移る過渡期である。

プーチンとメドヴェージェフはソヴェト体制が生み出した人材

1991年12月にソヴェト同盟がなくなってから今日までの20年間のうち最初の10年間、エリツィンの時代は、旧体制が解体する過程と新体制が建設される過程が進行した時期であった。次の10年間、プーチンとメドヴェージェフの時代は、エリツィンが作った体制を手なおししながら新しい体制を確立しつつある時期である。エリツィンはソヴェト時代の指導者、プーチンとメドヴェージェフはソヴェト時代に生まれ、育ち、教育をうけた、ソヴェト体制が生み出した人材である。

プーチンはソヴェト同盟共産党員であり、党そのものがなくなったので、離党も脱党もしていないと言っている。メドヴェージェフは彼自身が大学時代に青年共産同盟の委員を務めており、普通なら、共産党員になっていたであろうが、時はソヴェト体制の末期、この時期に彼は洗礼をうけ、ロシア正教徒になっている。だから、共産党員になっていたがどうか確言はできないが、父方の祖父と彼に対するメドヴェージェフの考えを知ると、共産党に近い若者であったことは確かであろう。

メドヴェージェフの年次大統領教書や予算教書はソヴェト時代でもそのまま通用する、大学の研究者・教育者らしい、論理的な、なかなか読ませる文章である。

プーチンは2008年2月、8年間の大統領の任期が終わるのを前にしてかく語った。「この8年間ずっと私はガレー船の奴隷のように、朝から晩まで、耕し続けた。私は全力を傾注してこれをおこなった。」45

そして、いま、4年間の首相職が終わるのを前にしても、おそらく同じことを語るであろう。彼は真面目な努力家である。

私はこの講義の冒頭でプーチンをアンドローポフ型の政治家であり、エリツィンが作った体制の改革者であり、体制の効果的な運用をはかる行政官であり、実務家であると評した。プーチンはエリツィンが作った市場化・民営化の枠内での改革に徹した。プーチンもソヴェト経済の計画・管理体制が機能不全に陥っていることをよく知っていた。したがって、石油と天然ガスの私物化に反対し、これを公のものにしたかったが、だからといって、ソヴェト型の管理体制には戻さず、市場化・民営化の枠内で処理した。ここがプーチンのプーチンらしいところである。

プーチンはテロやチェチェン戦争では蛮勇を奮った。プーチンはエリツィンが期待した「政治闘争に必要な巨大な意志と巨大な決断」を発揮できる人であった。私はプーチンの11年余にわたる大統領と首相としての実績を見て、彼はレーニンとスターリンが持っていた「強い意志と決断力と行動力」を持っていることを知った。プーチンはソヴェト体制が生み出した有能な共産党員であり、諜報部員であり、軍人であり、政治家である。

メドヴェージェフのアブハジアと南オセチアの独立承認は「英断」

メドヴェージェフはプーチンの強烈な個性の前で影が薄い。しかし、メドヴェージェフ大統領がおこなったアブハジアと南オセチアのグルジア共和国からの独立承認はきわめて重要な意味をもっている。独立国「南オセチア」がロシア連邦に属する「北オセチア」と合併し、「オセチア共和国」となり、独立を宣言した場合、ロシア連邦はどのように対応するのであろうか。「南オセチア」の独立を承認したロシア連邦は「オセチア共和国」の独立承認を拒否するのは難しいであろう。同じことはチェチェンについても言える。

「アブハジアと南オセチアの独立承認」は、メドヴェージェフが最初に考えていた「連合国家」構想とは違うようであるが、これは結果として「英断」であった。この決定は、チェチェン問題の再燃をはじめ今後さらにつぎつぎと起こる可能性のある民族独立問題を、血を流さないで解決するだけでなく、新たな統合への出発点となりうるものである。

「カティンの森事件」はソヴェト軍とドイツ軍による二つの銃殺事件が重なったもの

「カティンの森事件」を正しく理解するためには、ロシアとポーランドとの長い複雑な歴史を知らなければならない。

帝政時代、ポーランドはロシア帝国の一部であり、ロシア人がポーランド人を支配していた。ソヴェト政権樹立後、ポーランドはロシアの支配から解放されたが、1920年に再び労農赤軍の攻撃をうけ、これに抵抗して勝利し、ポーランドは多数の赤軍兵士を捕虜とし、多くのソヴェト領をポーランドのものにした。

その後、1939年にソヴェト軍はドイツ軍と呼応してポーランド領に入り、ポーランドを分割、20年間ポーランド領となっていた多くの失地を回復し、多くのポーランド軍人・憲兵・警察・刑務所看守などを捕虜とした。そのうち農民と下層の出身者は即座に解放され、他の多くはアンデルス指揮下のポーランド軍に編入されたが、赤軍捕虜を虐待した者、反乱を企てた者、ソヴェト軍兵士を攻撃した者、その他の犯罪行為をした者は罰せられた。なかには銃殺された者もいた。カガノーヴィチ元政治局員によると、その数はほぼ3500人と言われている。46

ロシア側もいまでは「カティンの森事件」の一部はソヴェト軍が銃殺したことを認めている。私は、この事件はソヴェト軍による銃殺とドイツ軍による銃殺の二つの事件が重なっている、と考えている。

メドヴェージェフとプーチンの「双頭」体制は人為的に作られたもの

最高指導者というのは、その地位に就かせてみないと分からない。期待していたのが、期待に応えない場合があるし、期待していないのが、案外、うまくやる場合がある。

メドヴェージェフは走り始めたばかりであり、この先まだどうなるのか分からないが、アブハジアと南オセチアの独立承認や政治制度改革などをみると、メドヴェージェフはプーチンの枠を越えようとしているようである。

ロシアにおいて大統領制は馴染み深いものではない。それはソヴェト同盟共産党の統治体制が機能しなくなったところで急に出てきたものである。私は共産党がこれまで果たしてきた役割を現在はどこが果たしているのかに注目してきた。いまではそれを果たしているのは大統領府であると考えている。

かつて、ソヴェト同盟共産党中央機関はクレムリンの外にあり、国家・政府機関はクレムリンの中にあった。ロシア連邦共和国の国家・政府機関はクレムリンの外、通称「ホワイト・ハウス」にあった。

いまでは、ロシア連邦の大統領府はクレムリンの中にあり、国家・政府機関はこれまで通り、「ホワイト・ハウス」にある。そして、いまは、メドヴェージェフ大統領を頂点とする大統領府が、かつて共産党が果たしてきた内外政策の基本を企画・立案・決定する役割を果たしている。政策を実行するのはプーチン首相をはじめとする政府である。

私はロシア連邦大統領を2期8年間も務めた大物のプーチンが大統領退任後に、普通は降格と見られる、首相に就任したのは、エリツィン大統領の時代を振り返り、大統領制が持っている独断専行の可能性を除去するために、ソヴェト時代に存在した「双頭」体制を人為的に復活させたのではないかと考えている。

大統領制が有効に正常に機能するためには、強力な議会が必要である。米国では大統領と議会(上院および下院)の「双頭」である。しかし、現在のロシアでは連邦会議(上院)議員は連邦構成主体議会の第1党の推薦によるものであり、与党優位にあり、国家会議(下院)も与党「統一ロシア」が過半数をはるかに超えており、これは次の選挙でも変わりそうにない。ロシア連邦共産党のイリューヒンは議会支配の復活と大統領制の廃止を求めているが47、差し当たり、これは実現しそうにない。となると、大統領の独断専行を抑えるためにプーチンのような大統領経験者が首相職に就くというのは、案外良い方法であるかも知れない。

4人の指導者は「融けつつある氷山」の上に住む、崩壊しつつあるインペリアの指導者か

この講義でしばしば引用してきたジャーナリスト・ソロヴィヨーフと政治学者ズロービンの著書はゴルバチョフ、エリツィン、プーチン、メドヴェージェフの4人の指導者を「融けつつある氷山」の上に住む、崩壊しつつあるインペリアの指導者と評している。それはなぜか。

それは、ソヴェト同盟が各同盟構成共和国の国境にしたがって、きちっと分解・崩壊したと考えるのは単純である、からである。というのは、これらの各共和国は多くの場合、当時存在していた民族的、宗教的、文化的、軍事的もしくは経済的区分けを考慮しないで、主観的に作られたからである。だから、これらの国境の再検討はこれからも起こりうるし、それがソヴェト同盟崩壊後の地域の不安と不安定を増幅させるからである。この地域に形成された政治地図は最終的なものではない。これはロシア自身にとっても良いことである。国境が維持されるというのは事実ではない。したがって、心理的、政治的、軍事的にこれに備えなければならないというのである。48

私もそのように思っている。だから、チェチェン問題のように、独立を認めないのではなく、アブハジアと南オセチアの場合のように、独立を認めることが必要なのである。人間は一方では独立を求めながら、他方では統合を求める。

私はこの20年間ほどのロシアをそれほど異常だとは考えていない。あれほど大きな国、多民族の国では世の中が変わるのに時間がかかるのは当然である。やっと、ロシア社会も落ち着き始めた。まだ揺れ動いているが、私はロシアを「融けつつある氷山」の上にある国とは考えていない。ロシアは「雄大なユーラシア大陸」の上にある国である。

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45 『プーチン、かく語りき』Eksmo社、モスクワ、2011年(ロシア語)、154−155ページ参照。
46 前掲、イリューヒン『プーチン。知らない方がよい真実』131−132ページ。
47 同上書、32ページ。
48 前掲、ソロヴィヨーフ/ズロービン共著『プーチン − メドヴェージェフ 次は何か』172ページ。